窪田駒吉

鈴木商店四天王の一人。東京支店長、そして日本製粉の社長に

生年 明治16(1883)年
没年 昭和10(1935)年

鈴木商店四天王の一人。高知市介良出身の土佐派。東京支店長、日本製粉社長

神戸で営む阪神樟脳合資会社に入店。樟脳の売買で毎日のように顔を合わす金子直吉に才覚が認められ、鈴木商店にスカウトされる。明治37(1904)年、鈴木は東京に進出、窪田駒吉はその先兵を務め、東京支店長となる。また大正12(1923)年ころの経済誌評では「鈴木の支店長では最年少で40歳になったばかり。商略に秀で東京における鈴木の近来の発展は氏に負う」と評される。

日本製粉の岩崎清七とは、米穀の売買で知り合り、窪田は鈴木商店の大里製粉所との合併後に日本製粉の取締役に就任した。

日本製粉と鈴木商店の救済融資の際には、長崎英造とともに金子直吉の命を受けて奔走する。その後、日本製粉の減資と増資により鈴木商店の持ち株比率が75%となると、窪田は昭和2(1927)年1月に日本製粉の社長に就任する。

窪田は日本製粉の再建に努めるが、3月には昭和金融恐慌が起こり、鈴木商店は破綻してしまう。その後、窪田は三井物産に支援を求め、昭和3(1928)年に社長を辞任、昭和8(1926)年まで相談役として日本製粉に残った。

関連リンク

TOP