足立宇三郎
ゴム事業のエキスパートとして日沙商会で活躍
生年 明治24(1891)年11月1日
没年 昭和51(1976)年4月11日
滋賀県高島郡生まれ。同志社大学経済学部第一期生として卒業後、大正5(1916)年に鈴木商店に入社。ゴム部に配属された後、日沙商会本社(兵庫県西灘村岩屋)に勤務し、鈴木商店破たんまでゴム事業のエキスパートとして活躍した。
鈴木商店破たん後、昭和6(1931)年頃、一時神戸の女学校で英語教師を務めていた。当時の状況からこの女学校は、鈴木よね所縁の「神戸女子商業(現・神戸市立神港高校)」だった可能性もある。
昭和7(1932)年、鈴木商店での経験を活かし尼崎に「友屋ゴム製造所」を設立。やがてこの友屋ゴム製造所は、東洋紡績がゴム製造のために設立した「内外再生護謨(東洋ゴム化工に社名変更された後、現・東洋ゴム工業)」に買収され、足立は定年まで東洋ゴム工業の役員を務めた。
東洋ゴム化工時代、同社は足立の人脈から鈴木商店系の日本輪業ゴム(現・ニチリン)他の自動車タイヤ部門を譲り受けて、自動車タイヤ製造に乗り出し、今日の東洋ゴム工業の基礎を確立した。
足立は、晩年はキリスト教研究や出身地滋賀県郷土史の研究に打ち込んだほか、辰巳会の会合にも熱心に参加した。