吉田豊次

異色の経歴「生糸検査官」から商社マンへ転身

生年 明治24(1891)年2月
没年 昭和57(1982)年


福島県双葉町生まれ。東京高等蚕糸学校(明治15(1882)年設立された農商務省蚕業試験場から改称、現・東京農工大繊維学部の前身)卒業後、長野県庁に繭の検査官として入庁。

我が国最初の生糸検査所のある横浜生糸検査所との関係から鈴木商店横浜営業所に転職。その後、大正10(1921)年前後に香港、広東営業所に赴任し、中国からの生糸の輸出検査業務に携わる。

当時、中国は日本に先立つ生糸の主要輸出国であり、鈴木商店は中国製生糸を日本向けに輸出するに当たり独自の検査官により事前検査を実施していた。吉田は専門の検査官としてこの業務を担っていた。

中国でも日本と同様、公営の生糸検査所を広東や上海に開設したが、いずれも活用されず全く機能することなく広東検査所は閉鎖されてしまった。中国からの生糸を輸出する業者は、独自の検査官、検査設備を設けるのが一般的で、吉田のようなプロの検査官が必要とされていた。

絹にあこがれ、生糸を広めたいと願う金子直吉の夢は「帝国人造絹糸」の誕生に繋がる。

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