柳田伊助
カネ辰宗家の籐ビジネスを引き継ぎ「カネ辰柳田商店」を創業
生年 天保14(1843)年 没年 明治22(1889)年
江戸後期・享保年間、京都綾部の柳田太郎左衛門の孫の卯兵衛、伊助兄弟は文久2(1862)年、籐製品の製造・販売を創業。明治15(1882)年1月出版の「商工案内"浪華の魁"」には、<籐細工商・柳田卯兵衛(東区)>、<籐細工所・柳田伊助(南区)>の名がそれぞれ上載されており、卯兵衛は販売を伊助は加工を担っていたことが記されている。
兄・柳田卯兵衛は、辰巳屋・松原恒七の妹・はると結婚し、恒七の子・富士松(後の鈴木商店の番頭・柳田富士松)を養子にしていたことから、弟・伊助と共に辰巳屋とは関係が深く、柳田兄弟の籐ビジネスについて籐の原材料輸入を辰巳屋に頼っていたと考えられる。
柳田兄弟の籐事業はやがて伊助が中心となって運営されるようになり、卯兵衛は完全に事業から手を引いてしまう。柳田商店は伊助を初代とし、伊助の家系により事業が引き継がれて行くことになる。
一方、辰巳屋・松原恒七が病に倒れ、藤田助七、鈴木岩治郎に辰巳屋の暖簾分けする際、籐事業について柳田伊助にも辰巳屋(カネ辰)の暖簾を与えて事業を支援している。こうしてカネ辰・藤田商店、カネ辰・鈴木商店と共にカネ辰・柳田商店が誕生した。
柳田商店は昭和2(1927)年、二代目幾治郎の時、個人商店から「株式会社 柳田幾商店」に改組、シンガポール、台湾から直接輸入を始めて事業を拡大。しかし三代目勇次郎の時には戦局悪化のため外貨割り当て制から輸入が途絶え、会社解散を余儀なくされた。昭和22(1947)年、「カネタツ柳田株式会社」として再出発、業績回復して店舗・倉庫を増築、大手デパートへ籐家具、籐敷物等の納入するまでに拡大し、勇次郎は全国籐商工業連合会会長を務める程実績を挙げたが、戦後の生活様式の変化、低廉な輸入製品の増加等により国内市場は縮小し平成10(1998)年、カネ辰柳田は四代目をもって136年の歴史に幕を下ろした。