志水寅次郎

小樽を拠点に道内各地に地歩を固め、他商社を圧倒した辣腕支店長

志水寅次郎

生年 明治10(1877)年12月4日
没年 不詳

肥後熊本藩主・細川家の筆頭家老で、八代城代・名門松井家に生まれる。
21歳の時上京、同郷の知人の紹介で第百銀行に入り、8年間勤務。
明治38(1905)年、知人を通じ後藤新平の推薦を得て、鈴木商店のジャワの製糖事業を視察の後、大里製糖所に勤務。大里製糖所が大日本製糖に吸収されると、鈴木商店大阪支店に移る。

その後、仙台支店を経て、明治39(1906)年に鈴木商店が北海道進出を決定すると出張員として転任、明治43(1910)年、小樽が支店に昇格すると支店長として本格的な活動始める。

一手販売権を握っていた大日本製糖の製品を道内の大手砂糖問屋に販売、道内で消費される砂糖の七割を取り扱うほか、官営札幌製粉所を前身とする「札幌製粉」の買収を主導するなど瞬く間に先発の三井物産に迫る業績を挙げた。やがて札幌製粉、大里製粉所などが日本製粉に統合されると日本製粉取締役に就任。

鈴木商店小樽支店の華々しい実績から、支店長・志水寅次郎は、三井物産と並んで小樽商業会議所の特別会員として別格の扱いを受けた。(志水寅次郎については、村田栄次郎著「北海の商傑」(大正7年)の内、”合名会社鈴木商店の事業”にそのひととなりが記されている。)

鈴木商店破綻後、鈴木関係者により設立された大成商事株式会社の代表に就任。


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