鈴木治雄

鈴木岩治郎と妻・よねの孫として太陽鉱工グループの発展に尽力

鈴木治雄

生年 大正7(1918)年2月2日
没年 平成28(2016)年12月19日 

神戸に、鈴木商店の創業者・鈴木岩治郎と妻・よねの三男・岩蔵の長男として出生。その半年後に、神戸・東川崎町の鈴木商店本店(旧・みかどホテル)が米騒動のあおりを受けて焼き打ちに遭い全焼する。

平成28(2016)年3月、神戸新聞の連載「遥かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の取材で同紙が行ったインタビューにおいて、治雄は「(焼き打ちの際)おばあさん(鈴木よね)は生後6カ月の私を抱いて広島の宮島へ逃げたと聞いています」と語っている。

旧制第三神戸中学校(現・県立長田高校)時代に野球に熱中していた治雄は、平成28(2016)年春の第88回選抜高校野球大会に21世紀枠で長田高校が初出場したことをことのほか喜び、母校に寄付金を持参している。

大学卒業後の昭和16(1941)年3月、鈴木商店のゴム部門を起源とする日本輪業ゴム(現・ニチリン)に入社。昭和23(1948)年3月、日輪ゴム工業(現・ニチリン)取締役就任。昭和26(1951)年4月、鈴木商店の子会社・太陽曹達を起源とし、レア・メタルやレア・アース等の開発・製造を主業とする太陽鉱工取締役就任。昭和39(1964)年3月、同社常務取締役就任。昭和44(1969)年10月、同社代表取締役専務就任。昭和45(1970)年11月、同社代表取締役社長に就任し、その後21年にわたり社長を務める。平成3(1991)年6月、同社社長を勇退し代表取締役会長就任。その後、同社名誉会長。長年にわたり、太陽鉱工グループの発展に尽力した。

また、鈴木商店の非鉄金属事業として設立された日本冶金を起源とする東邦金属の取締役、鈴木商店の直営薄荷製造所を起源とする鈴木薄荷の取締役、日商(現・双日)の監査役などを歴任。妻・慶子は森本寛次(森本倉庫取締役)の二女。現太陽鉱工社長・鈴木一誠(かずのぶ)は治雄の長男。

一方で、鈴木商店のOBにより組織された「辰巳会」の会長を長きにわたり務め、また平成25(2013)年に発足したインターネット上の博物館「鈴木商店記念館」(平成26年4月公開)を運営する「辰巳会・鈴木商店記念館」の代表も務めた。

平成29(2017)年2月2日、98歳の天寿を全うした鈴木治雄の「お別れの会」が神戸ポートピアホテルにて執り行われた。会場には治雄の幼少期の祖母・鈴木よね、父・岩蔵との写真、日商の監査役時代の写真などのパネル展示のほか「カネ辰」の暖簾や法被などが飾られ、全国から神戸製鋼所、帝人、双日など鈴木商店ゆかりの企業関係者、「辰巳会」の会員であった鈴木商店のOBの子孫ら約700名もの多くの関係者が集まり、在りし日の故人を偲んだ。

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