下坂藤太郎

「無給・無出勤」の日商初代社長

生年 明治元年(1868)年
没年 昭和16年(1941)年

明治27(1894)年東京帝国大学大卒業。

大蔵省に入省し、翌年の第二回文官高等試験に次席合格する。秋田県収税長、本省参事官、書記官、監督局銀行課長などを経て、明治32(1899)年6月辞職。翌月台湾銀行理事に就任し、副頭取に進む。明治39(1906)年から翌年にかけて銀行制度調査のため欧米出張。明治45(1912)年東洋製糖専務、大正3(1914)年7月から同社社長。東洋海上保険社長を兼務し、大正11(1922)年7月に両社長職から離任する。

大正11(1922)年、台湾銀行による鈴木商店の改革が断行され,元副頭取の下坂藤太郎を派遣し、「鈴木合名会社」と「株式会社鈴木商店」の分離による機構改革を主導した。

昭和3(1928)年、日商岩井の前身である日商の初代社長に就任。同社会長も務めた。

関連リンク

関連トピックス

TOP