杉山金太郎
“Soybean King”と呼ばれ、豊年製油の基礎を盤石にした中興の祖
生年 明治 8(1875)年9月19日
没年 昭和48(1973)年3月10日
杉山金太郎は歌山県海草郡川永村(現・和歌山市)に生まれた。紀州藩徳川家で設立した徳修学校を出ると、叔父が教師をしていた広島県福山市の尋常中学誠之館を受験し3年に編入した。中学4年に進級すると同時に意を決し誠之館を退学して大阪に出た。明治27(1894)年3月私立大阪商業学校(現・大阪市立大学)を卒業。学生時代得意の学科だった英語を生かして、アメリカン・トレーディング・カンパニーに入社、貿易の実務を学ぶ。
大正6(1917)年中外貿易会社を創立、専務取締役に就任。大正10~12(1921~1923)年横浜正金銀行鈴木副頭取の依頼により、恐慌の影響を受けた横浜正金銀行の仕事を手伝う。
元大蔵大臣井上準之助の推薦により、大正13(1924)年5月、豊年製油社長に就任。就任早々渡満するなどして原料、製造、販売の実態について調査を行い、事業化としての道を歩み、「豊年製油」の中興の祖として、幾多の困難を乗り越え、同社の発展に尽力し、会社の基礎を築いた。アメリカでは“Soybean King”と称された。
杉山の経営者としての特徴は、一口でいえば旺盛なパイオニア精神と事業意欲であった。具体的には、①人材の育成、能力開発への努力、②技術、研究開発力の重視、③卓越した独創性と経営への真摯な取り組みなどがあげられる。
昭和29(1954)年10月 社長の椅子を長男杉山元太郎に譲り、取締役会長に就任。
昭和42(1967)年 8月 相談役に就任。
昭和48(1973)年 3月10日逝去、97歳。
昭和17(1942)年 6月 紺綬褒章
昭和39(1964)年 5月 勲三等瑞宝章受賞。没後政府から正五位銀盃が追贈された
(参考資料:ホーネン70年のあゆみ)