浜口雄幸

同郷の金子直吉を常に気遣う謹厳実直なライオン宰相

生年 明治3(1870)年
没年 昭和6(1931)年

高知県出身。東大卒業後、大蔵省に入る。省内では傍流を歩くが、専売局長官のとき後藤新平の知遇を得る。大正元(1912)年第3次桂内閣の後藤新平逓信相の下で次官となった。後藤と浜口の直接の結びつきはこのころだが、金子直吉は後藤を介して浜口に近づく。同じ高知出身ということもあり親交を結んだ。昭和4(1929)年浜口内閣を組織し、井上準之助を蔵相に起用し、ともに金解禁を実施したが、翌年軍縮を不満とする右翼青年に狙撃され重傷、一命を取り留めるも病状悪化して死亡。生前、浜口はライオン宰相という愛称でその正直で堅実な人格が国民に信頼されていた。

浜口と金子の出会いは、浜口が専売局長官の時代、金子が、満州、支那、南洋で煙草市場を独占していたBAT社(英米トラスト社)に対抗すべく東亜煙草を買収し、専売局の許可を得て輸出を図ったことから始まった。また煙草専売に関連し、浜口から事業資金の調達の方法として保険会社を活用することを説かれ、保険を国家的な仕事として取り組むことを示唆された。後年、鈴木商店が保険会社設立に舵を切るのは浜口の助言によるもの。

内務大臣時代の浜口は、経営悪化した鈴木商店救済につながる震災手形関連法案の成立に尽力したが、同法案が鈴木救済であるとマスコミの攻撃に遭い、浜口の苦悩が深まった。結果的に同郷の金子を助けられなかった浜口の心中は察するに余りある。

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