六岡周三

戦前、戦後の播磨造船技術部門の要

生年 明治25(1892)年
没年 昭和51(1976)年

神戸市に生まれる。神戸第一中学校、第七高等学校、東京帝国大学造船学科卒業後、(株)播磨造船所入社。
昭和18(1943)年常務取締役
昭和25(1950)年~昭和35(1960)年社長

戦前から戦後にかけての技術部門の中心者であり、昭和19(1944)年には当時の技術者としての最高の栄誉である技術院賞を受賞したほか、学究タイプあり、戦後の一時期大阪大学で講義を行っていた。

病院、野球場、体育館、ゴルフ場の整備・開設など従業員の福利厚生、レクリエーションに力を入れる一方、好況不況の波の激しい造船業の安定経営を図るため、石川島重工業(株)の土光敏夫社長(後の経団連会長、臨時行政調査会会長)と交渉を重ね、昭和35(1960)年12月には両社の合併にこぎつけた。当時としては戦後最大の企業合併であり、「陸と海の結婚」として世間を驚かせた。合併後は、石川島播磨重工(株)(現IHI)の会長に就いた。

社史である「播磨造船所50年史」の巻頭を社長として飾っているが、その刊行日はおりしも播磨造船所最後の日となった。

市公安委員,日本造船工業会長を歴任。昭和40年(1965)4月、地域産業及び経済発展に貢献した功績で、相生名誉市民に。  

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