和田恒輔

鈴木商店・高畑誠一とは神戸高商以来の親交が続く

生年 明治20(1887)年11月3日
没年 昭和54(1979)年12月2日 享年92歳 
山口県出身。神戸高商(現・神戸大)卒。             
明治42(1909)年古河鉱業に入社。
大正12(1923)年に設立された富士電機製造(現・富士電機ホールディングス)に転籍。
昭和20(1945)年社長に就任。独シーメンスとの提携、多角化経営戦略進める。昭和29(1954)年富士通信機製造(現・富士通)社長就任。

和田恒輔は、鈴木商店の高畑誠一、永井幸太郎、出光興産の出光佐三と神戸高商同期で学生時代から親交深く、後年、高畑から和田に意向打診されたことから第一銀行(当時)を中心とした「第一原子力産業グループ”FAPIG”」の結成に繋がり、後の東海村原子力発電所(東海発電所)に発展する契機となった。

また、和田は多くの名言を残していることが知られている。以下はそのうちの一つで、ドイツ・シーメンス社との提携関係の中で起こった問題について、どう対処してきたかを語った言葉: 
“要は人事を尽くし、そうすることが相互の利益であるということを繰り返し説明していると、そのうちに段々と分かってくる。 交渉ごとで短気は禁物。真情を吐露して、しかも粘ることが肝要である。・・・”

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