金子直吉語録
幾多の企業経営を通じた教訓を基に発せられた数々の金言
金子翁は常に「事業と商売は常に十字街頭に立っているものなりと心得てやれ」と教えた。
故に事をなすには常に前後左右に注意して処理するの鬼才を包有して居た。
又金子翁は教えて曰く「総て事業をなすには百万かかると思えば三百万の用意をしてかかれ、百万の事業を計画して失敗に終れば又百万円を投じ、尚損をしても更に百万円を投ずる覚悟がなければ初めよりその事業に投資せざるを可とす」とこの金言は金よりも貴く明鏡となって後人の心を照すのである。
亀井英之助君に与えた金子翁の座右銘に
一、常に身を十字街頭に置け。
二、妻子の名を忘るとも相手方の信用程度と売掛代金の帳尻には日夜眼を放すな。
又昭和十七年頃尼崎の日本銑鉄鋼業株式会社の井上清君に一生座右の銘を教えて呉れと頼まれて語ったものに、
一、事業経営者は精励恪勤常に衆に範たるべし
一、経営者は己を持する事薄く他に厚くすべし
一、経営者は公私の別を常に明かにすべし
一、経営者は部下を視るに至公至平なるべし
以上四ヶ条
売買同時の取極めは商内の原則であるが、時には一方より出動の余儀なき場合もある。「常に十字街頭に立てる気持ちで断行する事、若し途中で着手の方向が不可と考えた場合は、躊躇なく引返すべし」「女房子の名を忘れても手形の期日を忘れるな」
以上、「金子直吉伝」中「翁の金言」より
翁の私への訓話の中に「物にぶつかったら折れてはいけぬ、曲がりなさい」との一説がある。翁は曲がっては伸び、曲がっては伸びたのである。
「金子直吉伝」中「超君子にして聖賢」[金光庸夫]より
各方面に使う人材の必要も非常なもので、苟も一技一能に達する者はドシドシ簡抜して重用したが、又一面有望な青年を仕立て上ることにも大に力を須いた。翁は常に「本と人間の価値は最も安いものである」と云っていたが、誠に箴言である。
「金子直吉伝」中「人材の養成」より
■ 商人とは商品の価値を算定できる資格のあるものの謂である。
元町の蝙蝠傘を一本買うにしても其が何から構成されてコストは幾何程かかるか、一応算盤をはじいて買うべきである。売人の要求の儘に買うようでは商人の資格は零、学校で商人は生産者と消費者の仲介業を営むものだなどと学んだか知れぬが其は真実の商人では無い。
■ 商売は十字路に立ったつもりでやらねばならぬ。
四方の睨のきく要路をえらびて袋小路を避けることが大切である。
■ 金子翁は人の短所を庇護し其の長所を挙げて失敗を決して咎めなかった。
或る時関係者の取引に就て不誠意の問題を提げ、其の審判を乞うと「君そう云うな、あの男は何をしでかすか判らぬが、千に三つ程常人の想像出来ぬことをやる」と全く耳を傾けぬので、二の句がつけなかった。飽まで人を審判せず無限の慈悲を以て清濁併呑の大海の如き度量には頭の下るを覚えた。
■ 公私の厳格なる区別について長たるものの心得を諭された。
住友別子銅山の永い間の紛擾が伊庭貞剛の公私の劃然たる区別と其の清廉潔白に因って鎮静解決したことを挙げ、人の長たるものの心得を諭されたが、一面翁ほど此の截然と側から識別することか困難な人は珍しい。すなわち公生涯があって私生活らしいものが容易に窺われぬ。此の点全く公私の差別を超越して総てが自他同事と云う趣があった。
■ 勝は六七分でよい。
孫子にも「勝可知而不可為」とある。トコトンまでやっちゃいかぬ。
■ 出世して人の頭となり大将となる事を希望するならば、人を上手に使う事が大切である。
豊臣秀吉とか徳川家康と云ったような人は一騎打はしなかったが、常に大将として多くの人々を巧みに使いこなし、遂に関白となり将軍となって天下に号令する人となった。一方の大将となり社長とならん事を希うならば、常に人を上手に使う事に留意する事が肝甚である。
■ 鈴木の財産は風船玉のようである。
即ち何程店が儲けても社外には出さない、主人にさえも生活費だけよりは出さぬ。従って社員も毎日食うだけ貰えば後は皆店に積立てて置いて其の金が一人でも多くの人を養い、国家の為に仕事をして行く事になれば何よりの愉快ではないか。
だから何程儲けても株主に配当もしなければ店員に特賞も遣らない。儲かれば儲かっただけ風船玉は膨れ、損をすれば風船玉はそれだけスボんで来る。社外に金を出さぬという事は大なる強身で、これが為鈴木の信用が高まり又事業が盛大に伸びて行く。斯の理を辨えて働こうではないかと励まされ社員は皆喜んでついて行った。大鈴木が出来上ったのも此んな事が一つの原因であったと云っても過言ではない。
■ 商人は信用を第一とする。
それは商人は物を売り又は買う事は本業ではあるが、手持の無い物を売る事、即ち旗売は絶対にせぬ事である。
何故なら買った物なれば期限が来れば損得に拘わらず金を出して品物を受取ればそれで済むが、若し手持の無い物を見込みで売っていると受渡の期日が到来して引渡す品の無い場合はどうにもならず、解合を申込んでも買戻しを申込んでも相手は品物を渡せと言い張って「是非品物を渡せ」と頑張られたら頭を下げて詫びるより外に道がないが、斯の頭を下げると云う事は商人として最も信用を悪くする事故、常に注意しなければならぬ。
以上、「金子直吉伝」中「数々の語り草」より
今になって熟々思うことであるが、如何に調子よく儲かるといっても、あまり手を拡げ過ぎると、いざ引締めねばならぬと思った時に、なかなか思い通りにならぬ。又始めの五千万円の借金も、鈴木の盛時に決済してしまえば容易にできたものを、拡げた事業には手をつけずに外の方法で何とか始末をつけたい、つけたいと思っている内に、計画が齟齬して、ついに大きな借金にふくれてしまったのだ。
いずれも私の大きな間違いであった。しかしあの当時始めた事業のかずかずは今でも形は多少異っているとはいえ残っているものが少なくない。そして私は神様よりも大臣大将よりも、「生産ということが人間の一番尊い仕事である」という信念は今も変らない。(抜粋)
「昭和金融恐慌秘話」(1999年3月1日発行、編者:大阪朝日新聞経済部、発行:朝日新聞社)より