経済野話(現代訳・抄訳)②「国字の経済的改良」
1. 日本書紀には「肥人肥書(*)」を有すとある。当時、今の漢字すなわち我々祖先の持っていたものと異なった古代の文字が九州地 方に存在していたことは明らかである。 (*古代の肥後国球磨郡(球磨川流域)に住んでいた人(肥人:くまびと、こまひと)が 使っていた文字とされることから肥人書(くまびとのて)とも呼ばれる。)
2. 日本に支那から朝鮮を経て文字(漢字)が伝わったのは、(第15代天皇・応神天皇の頃とされるが、)当初はかなり面倒かつ 不便なものであったと思われる。
文字のない日本に文字が初めて入って来たので、在来の言葉と新しい文字を結びつけるのにはあれこれと苦心もし、その使用の不便にも我慢しなければならなかったであろうと思われる。
名詞や動詞のようにできる限り在来の言葉と漢字の意味とを合致するように文字を作っていったのだが、うまく当てはまらず、あるいは漢字をそのまま輸入して使用、あるいは音に合わせていったものでその当時としては随分おかしなものであったと思われる。
3.野木氏の「国字横組論」によると、人間の眼は横に長く、縦に短い。それは眼球を左右に動かす必要が、上下に動かすよりも多く必要であるからと云う。
私はこの議論は、人間自然から出た正しい議論であると思う。実際、我々の文字を横に書き、左から右に行くことが最も自然的である。殊にタイプライターやその他の新しい機械を利用し得ることにおいて、また数字を挿入する場合、万事便利な点が多く、この点は能率から考えて改良しなければならない。
4. 我々日本人は、生活の様式において大分欧米人と比べて損をしていることが多いようである。また国字において大きな損をしているようである。
国字をもっと改良することは、この際我が国国民生活の能率を高めるうえからも最も大切なことで、もし語学のために今までのように多くの犠牲を払う必要がなくなれば、日本はもっと商業も発達し国富も増加、世界の競争に堪えることができる。
5. 現今の我が国において欧米知識は、最も多く英語から輸入せられたもので国際商業語もまた英語である。従って英語の速成および普及は当今の急務である。
国字の改良方法として、次の提案をしたい。
(1) 塾字(=熟語)は、英文を用い、読み方に音と訓との別を設け、日本語を訓とし、英語を音とする。こうして塾字と塾字との間のテニオハは日本固有の仮名文字もしくはローマ字を挿入して綴ることとする。
(2) 書き方は英文のように左から右に横に綴って行く。
(3) 読み方は普通の場合、日本語を用いるが英語を知っている者は塾字のみを英語にて読んでも差支えない。
こうして名詞はすべて仮名またはローマ字で記載し、もし英語にその名詞があるものはこれを英語で記すこととし、その読み方は日本語式にする。
(4) 標準的に新しく改正された辞書を作成し、日本語に対する英文・英語を一定する。まさしくこれは音と訓とを明確に区別するためである。
6. 私の提案する国字改良の例をあげて説明する。
ふくざわ Professor idiographの teaching,
Japan にかなの idiograph ありながら china-character を mix
use は very inconvenience なれども ancient-time よりの usage
にてwhole-country daily の writing に all china-character を
useの custom となりたればnow suddenly this を abolotish せんと
するも also inconvenience なり
ただ実行上やや思い通りに行かない点は、英語に存在しない我が国(独特)の名詞を如何にすべきかであるが、このような名詞は極少なく、この国字改良を断行すれば、やがてすべての名詞が英語と合致するようになるであろう。
7. 私の提唱するように国字を改良すると次のような利点が生ずると考える。
(1) 日本語文を記載する場合、タイプライターを使用することができるから、これによって著しく毎日の生活を簡易化することができる。
(2) 英語の知識が一般的に普及されることとなり、一般国民が外国の文明に親しむことが容易となり、知識を世界的に求めることができる。
(3) 小学校教育だけで英語の予備知識を修得することになるので、長い語学のための労費を省くことができるとともに、従来の小学校以上の教育年限を短縮することができる。
(4) ローマ字採用論者の主張するように日本文をローマ字で綴るときは、同音異訓の文字の場合に甚だしい不都合を生ずるが、私の主張する方法では、このような不便は生じない。
(5) 仮名ばかりで日本文を綴ろうとする場合にも、ローマ字綴りの場合と同様の不便を生ずるが、これも私の方法であれば心配する必要がない。
8. 「国字はその国の生命であり、その国民と共に発達し終始したものなのに、今我が国が英語を輸入することは我が国の滅亡を招く」という批判があるが、この議論は根本に誤解がある。
国語と国字とを混同したことが誤りである。国語は確かに国の生命で、言葉を変えるということは絶対にできないが、国字を輸入することは何ら差支えない。
さらに「他国の言葉を輸入してもその実益は少ない」という意見もあるが、私は、他国の国語は輸入すべきではないが、その文字を借用して我が国民の知識を高めることは、むしろ必要なことで、この点からも英語を我が国語の中に取り入れ、広く知識を世界に求めるべきと信じる。
9. 最近、文部省などが漢字制限を実行して相当の好成績を示しているが、私は、これを更に一歩進めて、日本文についても制限を設け、旧来の長い不便で面倒な文句を簡単な略語を作って置き換えることを提案したい。(「何々せざるべからず」や「御座候」等々)