鈴木商店関連資料
鈴木商店に関連する書籍、資料をご紹介します。関連出版物と並んで鈴木商店研究に資する貴重な資料を順次デジタル化して公開します。
↓鈴木商報・鈴木商店商報 ↓米価問題と鈴木商店 ↓依岡省三伝 ↓依岡省輔伝 ↓財界人物我観
↓鈴木商店登録商標 ↓現行例規集 ↓辻湊自伝 ↓伝記「藤田謙一」 ↓脩竹余韻
↓鈴木商店と台湾パイン缶詰産業 (論文)
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天下三分の宣誓書
本書簡は、大正3(1914)年に勃発した第一次世界大戦による大戦景気を見越し、全ての商品・船舶に対する一斉買い出動を敢行し莫大な利益をあげた鈴木商店が、千載一遇の好機を捉えて大躍進を期す金子直吉の大号令であった。(大正4(1915)年11月1日)
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経済野話
金子直吉が日頃から日本の経済界の実情などについて考えたことを金子の秘書を務めた住田正一(後に呉造船社長・会長、東京都副知事を歴任)が口述筆記し金子直吉名で刊行された唯一の著書。 金子直吉の経営センス、時代を見通す優れた先見性が読み取れる。巖松堂書店出版(大正13(1924)年)。
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金子直吉伝
金子直吉の祖先・伊予金子家とゆかりのある白石友治により編纂された金子直吉の伝記。高い実証性と史料的価値を備え、柳田富士松伝と対を成す。金子柳田両翁頌徳会出版(昭和25(1950)年)
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柳田富士松傳
金子直吉と共に創成期の鈴木商店の両輪として牽引した柳田富士松の伝記。金子を側面より支え、金子の積極性に対して柳田の堅実性やスケール感のある人間性が描かれている。金子柳田両翁頌徳会出版(昭和25(1950年))
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金子直吉遺芳集
金子直吉の人となりを後世に広く伝えるため、辰己会により出版された。(昭和47(1972)年)俳句、和歌、書簡が収められている。高畑誠一宛てに出された有名な「天下三分の宣誓書」も含まれている。
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鈴木商店調査書
本資料は、帝国興信所(後の帝国データバンク)が大正6(1917)年12月に三菱(資)査業部に報告した調査書で、鈴木商店の全ての事業を網羅し、直営事業29,分身会社19,主要関係会社15についての報告書。
大正7(1918)年に営業部を独立させ「三菱商事」の設立を予定する三菱合資は、鈴木商店が日本一の総合商社となった大正6(1917)年、急遽帝国興信所に調査を依頼したものと思われる。 -
鈴木商報・鈴木商店商報
この商況レポートは、当初「鈴木商店商報」として発行され、後に「鈴木商報」と名を変え出されたが、発行期間、発行部数、配布対象などは不明。砂糖、小麦粉相場を中心に、商況解説・海外通信・紀行文・論文などを含む定期レポート(毎月3回発行)で、鈴木商店の商活動を知る貴重な資料である。
現在、第12号(明治43(1910)年1月7日発行)から第21号(同年4月7日発行)の「鈴木商店商報」、第1号(明治43(1910)年4月17日発行)から第246号(大正5(1916)年12月27日発行)までの「鈴木商報」の 総数256部が神戸大学社会科学系図書館(電子図書館)に"貴重書"として所蔵されている。同図書館サイトより閲覧可能。
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米価問題と鈴木商店
大正7(1918)年、米騒動による焼き打ち事件後、鈴木商店が米価調節問題における自らの位置を述べ、買占め等の風評の誤りを主張した冊子。明記はないが、神戸高商出身で本店穀肥主任(部長職)として主力商品の「米」の取扱い責任者であった永井幸太郎が著したといわれる。
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依岡省三伝
高知出身で、“日本は南方地域に進出し資源確保すべし”とする「南進論」の実行者、先駆者であり、「日沙商会」の創業者でもある依岡省三の伝記。ユーモア作家として知られる岡成志が日沙商会より著した「依岡省三伝」(昭和14(1936)年)の現代語訳が下記サイトより閲覧できる。
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依岡省輔伝
依岡省三の弟。鈴木商店の金子直吉の知遇を得て鈴木商店に入社し、創業期の神戸製鋼所の専務に抜擢され、田宮嘉右衛門とのコンビで同社の基礎固めに貢献したが、兄省三が急逝したため後年は日沙商会に一生を捧げた。「依岡省三伝」と同じ岡成志により著された「依岡省輔伝」(昭和17(1942)年、日沙商会)の現代語訳が下記サイトより閲覧できる。
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財界人物我観
「日本の電力王」といわれた実業家で福沢諭吉の女婿・福沢桃介が自身と交遊のあった財界人を中心に人物評としてまとめたのが「財界人物我観」である。
経済雑誌ダイヤモンド誌上に掲載したものを昭和5(1930)年3月に同社より出版された。同書の現代語訳について下記サイトより閲覧できる。 -
鈴木商店登録商標
鈴木商店創業期からの伝統的商品の砂糖、樟脳、穀粉、麦粉のほか日本商業、東亜煙草、関東酸曹、塩水港製糖等の関係会社の商品についても定めた「登録商標」を収集。いずれもユニークなデザインや鈴木商店のシンボル・米星を意匠にしたものまで多彩な組み合わせが見られる。
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現行例規集
鈴木商店では、本社ならびに直系事業所および分身会社(関係会社)16社に適用する各種規定を定めていたが、「現行例規集」としてまとめられている。昭和2(1927)年3月発行の例規集には、権限規程、服務規程、旅費規程、人事規程等々細部にわたる社内規則が定められている。
明治43(1910)年制定された社風規律、大正元(1912)年以降制定された諸規定、通知から破たん直前の昭和2(1927)年3月の改定まで網羅されているが、当時の社会情勢を反映したり鈴木商店特有の規定が見られる。
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辻湊自伝
金子直吉の信任厚く、北港製糖、播磨造船所、鳥羽造船所、クロード式窒素工業、室蘭殖産、羽幌炭砿鉄道等々の鈴木商店主要な企業の設立や操業に深く関わり、それらの礎を築いた辻湊が自身の一生の総算としてまとめた自伝。
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伝記「藤田謙一」
“昭和の紀伊国屋文左衛門”、”日本一の政商”といわれるほど政財界に多彩な人脈を築いた実業家。鈴木商店関連企業に大きな足跡を残した他、東京商工会議所および日本商工会議所の初代会頭としても経済界に功績を残した。貴族院議員も務めたが、売勲事件により失脚。晩年は、出身地・青森県弘前市にて育英事業に力を注いだ。
弘前商工会議所発行(昭和63(1988)年) -
脩竹余韻
鈴木商店の柱石として、金子直吉の縦横な活躍を支えた名支配人・西川文蔵の追悼録。「居留地商館(ラスペ商会)」出身で、鈴木商店支配人、関係会社(帝国人造絹糸、豊年製油、天満織物等)の役員を歴任した森衆郎により、西川逝去の翌年、大正10(1921)年に出版された。追悼録のタイトルは、西川の雅号「脩竹」に因んで付けられた。
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鈴木商店と台湾パイン缶詰産業 (論文)
-台湾鳳梨缶詰株式会社の設立と事業―
鈴木商店の最終消費財としての食品製造業への参入は、極めて少なく、“鈴木商店と台湾”研究の第一人者で、兵庫教育大学東洋史研究会を前身とする「史訪会」会長であり、鈴木商店記念館編集協力者の齋藤尚文氏(兵庫県立国際高等学校教諭、博士)が、鈴木商店研究の視点から「台湾鳳梨缶詰株式会社」の経営に鈴木商店が如何に関与したか、その設立と事業展開から明らかにした。(史訪会機関誌「東洋史訪」第26号(令和元(2019)年5月31日))