⑮相生幼稚園
造船所が創立した相生で最初の幼稚園
大正5(1916)年4月、鈴木商店は播磨造船所を傘下におさめると、北村徳太郎ら少壮有為の店員を相生に配した。造船所の事務課長として赴任した北村徳太郎は、幼児教育を重視し、大正7(1918)年、東京高等師範学校倉橋教授の指導のもと、薮谷社宅に播磨造船所附属済美幼稚園を設立する。
北村徳太郎は「個々の特性を十分に発展せしめ、人としての幸福を遺憾なく享受する」ような幼稚園をめざした。児童を預かることによって女性が働きやすい環境をつくることも幼稚園設立の目的の一つであった。写真は、第一回の卒園式で、後列左から、林彦一・北村徳太郎が並んでいる。
大正6(1917)年のロシア革命は、鈴木商店の少壮社員に衝撃を与えた。彼らは、マルクス主義とどう戦うかが自分たちに課せられた課題であると思い込み、労働者と資本家が協調できるような資本主義を模索した。
北村徳太郎は、天神町にキリスト教会を設立、青年会などの文化活動を推奨し、託児所・幼稚園・徒弟学校・夜学校など福祉の施設・制度の充実を図った。播磨造船所青年会の会歌は、林彦一が作詞し、関西学院の津川主一が作曲している。
四番 今や世界は改造の 産みの悩みに苦しめど
その各人が省みて 醒めずば遂になにかせん
済美幼稚園は籔谷の社宅街にあったが、造船所から婦女会が引き継いで婦女会幼稚園になったときに相生(オウ)に移転した。現在は、市立相生幼稚園として市立相生小学校に隣接した地にある。