③秋田林業(仙北郡生保内乾溜工場)

鈴木商店の特異な事業形態で木材乾溜(酢酸カルシウム)事業に進出

 大正4(1915)年10月21日、秋田県南東部の仙北郡保内ぼない村先達川(現・仙北市田沢湖生保内駒ケ岳)に"木材乾溜事業"のための工場が設けられた。新会社の社名は、「秋田林業(株)」、本社は大阪市南区順慶町3丁目27番屋敷に置かれた。

 資本金5万円。役員構成は、社長に松田茂太郎、専務に松島誠、取締役に藤原長治、監査役に福井源次郎と鈴木商店の幹部が名を連ねる。尚、本社所在地は、松田の自宅。

 秋田林業は、駒ケ岳山林3,050町歩を生保内村より買収し、大正5(1916)年12月より操業開始した。当初の計画(年産)では酢酸石灰(カルシウム)116,060貫、木炭475,200貫、木精190,080封度(ポンド)として国内は各酢酸製造業者へ供給、海外へは南洋、インド、豪州、英国へ輸出を計画。(「大正期国有林下戻地の鈴木商店系拓殖企業の興亡と初期・終期に蠢動する特異企業家」滋賀大学名誉教授 小川功著  2016年12月)

 秋田林業の工場は、"生保内村先達川岸にあり"と記されている。(「仙北の富源と名勝田沢湖」黒川東洲著 仙北新報社発行 大正7年;現在地は、仙北市田沢湖生保内駒ケ岳)

 鈴木商店は同時期、院内油田の採掘事業を進めており、木材乾溜事業についてもその将来性を高く評価していたが、大正8(1919)年に新たに設立された「日本拓殖興行(名古屋市)」に事業を譲渡して同事業から撤退した。

関連資料

  • 駒ケ岳山林
  • 酢酸カルシウム工場精製・濃縮工場
  • 酢酸カルシウム(caアセテート)

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