⑧日本冶金(現・東邦金属)

日本の電球を国産化

大正時代の当時、明かりに必要な白熱電球はアメリカGE社の専売特許であり、東京電気を介してGE社に年間数百万もの特許使用料を払わないと電球の恩恵にあずかることが出来なかった。このような日本の現状を憂い、金子は電球の国産化を検討し、長寿命が期待されたタングステンを用いたフィラメントを製造するために門司小森江に工場を設立した。彦島に建設した精錬工場と機を同じくして、鈴木商店の冶金部として創業、大正7(1918)年に日本冶金が設立されると同大里精錬所となった。

その製造方法には京都帝国大学の岡田傳次の協力を仰ぎ、タングステンの粉末を固めて線状にする引線フィラメント法を実用化し、日本における電球の国産化に大きく貢献した。この発明は後に政治問題ともなったGE社との日米特許侵害に係る裁判にも繋がっていくが、大正5(1916)年当時日本の人口あたりわずか20%に過ぎなかった電灯普及率が今日のようにいたるきっかけを作り、また北九州において長く稼働を続けた大正電球(後の東芝北九州工場、2012年閉鎖)の設立にも大きく貢献した。

  • 東邦金属門司工場
  • フィラメント電球

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