①帝国麦酒(現・門司麦酒煉瓦館)

創業当時から残る煉瓦造りの工場、現在は資料館として保存されている

帝国麦酒は、明治45(1912)年に酒税法改正に伴うビール事業の大規模化以降九州最初の本格的ビール会社として、鈴木商店の支援の下設立された。翌年竣工した工場からサクラビールのブランドで出荷されたビールは、その後、第一次世界大戦により、ビールの本場欧州が戦場となると、欧州からのビール輸出が途絶えたこともあり、鈴木商店のネットワークによって日本の「サクラビール」は世界各地に輸出された。

昭和恐慌による鈴木商店の破綻後、会社は経営の危機を乗り越え、サクラビールは、日本第3位のビール会社として約1割のシェアを持ち、約30年間販売された。

昭和4(1929)年に帝国麦酒からビールブランドである桜麦酒に社名変更し、昭和10(1935)年には新聞等による公募でマスコットも決定「保呂利陽太」(詳しくは門司麦酒煉瓦館にて展示)、しかしながらビールの原材料も逼迫する中、昭和18(1943)年には会社工場ともに大日本麦酒に統合される形で終戦を迎える。この後、門司の工場は日本麦酒株式会社側に分割されて、その後、サッポロビールの門司工場として稼働した。昭和62(1987)年に稼働を停止、現在は門司麦酒煉瓦館として九州唯一のビール資料館として、鈴木商店時代からの創業の歴史などが展示されている。

現在ある門司麦酒煉瓦館の建物は、帝国麦酒株式会社の事務所として、大正2(1913)年4月に竣工し、平成25(2013)年に百歳を迎えた。建物はドイツ・ゴシック様式で建てられており、左右対称かつ縦軸を強調した鋭いスタイルを特徴としている。設計者は福岡で建築を学んだ林栄次郎と判明している。

この事務所棟と同じく大正2(1913)年に建てられ、現在地域のシンボルとなっている帝国麦酒醸造棟では、大正時代に使用された醸造施設の一部が遺っている。煉瓦造地上7階建の雄大な外観や工場建築には珍しい連続アーチ窓なども見どころのひとつだが、通常は公開していない施設内部の仕込設備は大規模なもので、春と秋の年二回行われる一般公開の際は一番の見どころとしてテレビなどでも広く紹介されている。

門司麦酒煉瓦館

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