(A)-⑤大山祇神社
地元住民が健康、安全、無事故、繁栄を祈る氏神
築別炭砿の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、築別炭砿駅を降りて辰巳橋を渡りそのまま直進すると、突き当りの築別炭砿事務所裏の森に囲まれた高台にあった。築別炭砿開坑当初の昭和15(1940)年に選炭工場裏の高台に造営されたが、その後神殿が老朽化し、場所も良いとはいえなかったため昭和30(1955)年に新造し、遷座したものである。参道や境内は住民の勤労奉仕で整備された。
なお、神社の正面に向かって左脇には羽幌炭砿に主家再興の夢を賭けていた金子直吉の胸像が建てられていた。
地元では「築炭神社」と呼ばれており、愛媛県今治市大三島町にある大山祇神社総本社の支社の一つであった。同総本社のご祭神は古来より「山の神」、「海の神」、「戦いの神」として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めていたことから、全国の多くの炭鉱など鉱山でも祀られていた。
毎年大晦日には、午前零時の時報とともに人々が健康を、安全を、無事故を、さらに山の繁栄を祈って柏手を打つ音が響き、狭い神社の境内では新年の挨拶を交わす姿が夜の白むまで続いていた。まさに、住民の心の拠りどころともいうべき氏神であった。
また、毎年6月11日から13日にかけては「山神祭」が催され、これにあわせて太陽中学校の運動会も開催された。11日の夜宮から12日の子供御神輿、13日の後祭りの後の運動会まで子供から大人まで忙しくも、楽しい3日間を過ごした。
炭砿住宅街の軒先には、ピンクの「竹軒花」が飾られて山の緑と重なり、目にも鮮やかに祭りの雰囲気を盛り上げていた。また、辰巳橋から神社に至る参道の両側には数多くの出店が立ち並び、家族連れなど沢山の人出で大いに賑わった。
しかし、これらの賑わいも今はなく、ただ無人の石段だけが静寂の森の中に続いている。