⑥浪華倉庫小樽支店

鈴木商店の先兵的な役割も果たした浪華倉庫

明治中期の小樽では海運の発展に伴い、倉庫業者が相次いで誕生した。日露戦争後、貨物の急激な増加により小樽は、国内有数の倉庫業の中心地となった。さらに第一次大戦の好況の波は、小樽の倉庫業にも好影響をもたらし明治後期を凌ぐ活況を呈するようになった。

鈴木商店系列の浪華倉庫は大正初期、地元の長谷川倉庫を買収し小樽進出を実現した。大正4(1915)年には、800坪を超える倉庫を有し、中堅倉庫業者として歩みを踏み出した。木骨石造大型倉庫として小樽運河沿いに建つ浪華倉庫の建物は、澁澤倉庫所有の下、「小樽運河食堂」として再生し、小樽歴史的建造物に指定され観光スポットとして賑わったが、有名ラーメン店など主要テナントの撤退が相次いだことから令和2(2020)年に閉店。

 令和4(2022)年4月、「小樽芸術村」を展開するニトリグループが、同建物を所有し4番目の美術館・西洋美術館として近代フランンスの陶磁器・ガラス工芸品の展示館として再生されています。

浪華倉庫・小樽支店は、小樽市堺町98(現在の小樽市港町 6-1;(株)光合金製作所 の所在する辺り)に開設され、鈴木商店小樽支店と密接に連携して活動した。

浪華倉庫は、小樽を中心として不動産事業にも乗り出した。鈴木系列となった「札幌製粉」が「日本製粉」と統合された後、日本製粉小樽工場を新設するに際して、大正14(1925)年に浪華倉庫所有の土地を斡旋して建設が進められた。さらに鈴木商店が羽幌炭砿の鉱区を買収する際には、浪華倉庫小樽支店が調査チームに加わり事業化に協力した。

関連資料

  • 小樽芸術村・西洋美術館として再生された旧・浪華倉庫
  • 浪華倉庫小樽支店のあった現在の小樽市港町付近
  • 現在の日本製粉小樽工場

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