⑥高知市五台山(浜口雄幸生誕地/銅像)
浜口雄幸生誕地
浜口雄幸は明治3(1870)年高知市五台山に生まれる。東京帝国大学法科卒業後、大蔵省に入り、専売局長官、逓信次官、大蔵次官などを務め、大正4(1915)年に立憲同志会に入党、衆議院議員に当選して代議士となる。後の明治生まれで初、高知県出身で初の内閣総理大臣となる。
金子直吉は、政治家に知人が多いが、同郷のよしみとでもいうか、浜口雄幸とは最も親密な間柄であった。後藤新平が逓信大臣になった時、浜口雄幸は後藤の下で次官になったが、両者を接近させたのは全く金子の力である。金子は、後藤、浜口と親戚以上の付き合いをしていた。
浜口雄幸はその風貌から「ライオン宰相」と言われた。浜口雄幸の銅像は高知市五台山の山頂にある。
浜口雄幸は鈴木商店が破綻に追い込まれているとき、その救済につながる震災手形関連2法の成立に尽力してきたが、マスコミが震災手形法と鈴木商店との関係をあることないこと書きまくり、苦慮している。