②高知市乗出(直吉幼年期の住宅地)

直吉幼年期の住居地

高知県庁の南、現在の高知市本町にあたる今ではマンションや商業ビルなどが立ち並ぶ一角に「乗出」(のりだし)という場所があり、ここは明治維新の貨幣経済混乱期に経営が成り立たなくなった呉服商売をあきらめた金子家が吾川郡名野川村(現・仁淀川町)から出戻って住んだ貧乏長屋があったと言われる土地である。ここで直吉は幼年期を過ごし、紙屑拾いをしながら家計を助けたと言われている。

一家を支えたのは母タミだった。当時の多くの女性がそうであったように、タミも文字が読めなかったが、朝早くからよく働いた。毎日、夜なべ仕事に着物や足袋のほころびを縫う、それの繰り返しであった。ある夏の夜、タミが直吉を起こすと雨漏りがして部屋の隅で夜明かしをする羽目となる。そんな時にタミは「直吉よ、よく心得ておけよ。金子家は長く続いた金持ちであったが、貧乏人をいじめたので、その因果がたたって、子孫がこんな目にあうのだよ。お前は出世して金持ちになっても決して貧乏人をいじめてはならぬぞよ」と言って聞かせたという。

  • 金子一家が住んだ長屋があった乗出地区(高知県高知市本町)

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