②清水木材倉庫
鈴木商店出身小宮小四郎と岡本福松、そして鈴与との関係
大正13(1924)年、全国4番目の木材専門倉庫会社として設立された「清水木材倉庫」の歴史的意義については、静岡県木材史にて「この木材倉庫業の開始によって、清水港への木材入津は安全度が高まるとともに倉荷証券の発行によって金融の途が開かれたので、倉庫の利用者は激増し、清水の木材流通は一段と活発化した」と記載している。
創立の主導的な役割を果たし、初代社長となる小宮小四郎は、明治19(1886)年に、静岡県藤枝の資産家の家に生まれた。神戸高等商業学校を卒業し、森村組を経て鈴木商店総務部に勤務。その後、父の死にあい、郷里に戻り清水市三保にて金木(株)を立ち上げる。郷里に戻ったのが大正12(1923)年、すなわち37才であったことから、小宮は鈴木商店の絶頂期に金子直吉らと働いていたということになる。
小宮は鈴木商店製油部(後の豊年製油)の新設に主導的な役割を果たした。一方、鈴与は豊年の原料荷役、場内作業など一手に扱い、また鈴木系の大日本塩業も鈴与の得意先であった。六代目鈴木与平も気軽に豊年に顔を出していたという。さらに小宮の弟が経営する肥料店も鈴与と取引が多かったことから、鈴与とは関係が深かった。
一方で小宮は、清水木材倉庫の創業にあたって腹心ともいうべき鈴木商店総務部時代の部下であった岡本福松を手足とした。岡本は高知に生まれ、高知商業卒業後、神戸高商を目指すも、志果たせず、鈴木商店に入店。いわゆる土佐派である。清水製油部の新設に際し、岡本も清水に移り住んだ。その際、岡本は5年ほど鈴与の木材部に預けられ、小宮は鈴木商店時代にすでに木材倉庫構想をもっていた可能性がある。岡本は、後に清水木材倉庫の社長を務める。
大正15(1926)年の静岡新報は、小宮の人物評を「学窓を出た彼は神戸の森村組に働き転じて鈴木商店に入り、金子直吉のもとに漸く驥足(すぐれた才能)を展ばさんとする時、実父の逝去に依り駿足を屈して田舎に帰り・・・清水の木材業に着目し木材倉庫業を始めたが、着々堅実な発展を示して居るのも、氏の緻密な経済的手腕に依るのであろう。将来に於ける第二の鈴与とは、氏を知る者の等しく見る処である」と描いている。
また静岡民友新聞は設立されたばかりの清水木材倉庫について、「新設会社は本県として、殊に貿易港として木材の集散地たる清水港として欠くべからざるもの」と評価。その後、県営貯木場と引き込み線(鉄道)の整備により、清水の木材産業は急速に発展し、木材は清水港の輸入品目のトップとなる。
同社は平成24(2012)年に、鈴与グループの東海埠頭と合併し、解散している。
(参考資料:清水木材倉庫の60年)