③東洋製糖・烏日製糖所
東洋製糖の発展を支えた島内の製糖工場群
大正12(1923)年、東洋製糖は台中県烏日の「台中製糖」と合併し、東洋製糖・烏日製糖所と改称。生産能力を日産350トンから450トンに増設。
昭和2(1927)年、東洋製糖が大日本製糖に合併されると、同工場は、大日本製糖・烏日製糖所と変わり、生産能力は800トンに引き上げられた。
戦後、台湾糖業公司(台糖)・烏日糖廠として操業されたが、1963年閉鎖。工場跡地は、交通部台湾鉄路管理局の管理地となったが、その一部(旧社宅地)は、「台湾菸酒(タバコ・酒)股份有限公司・烏日啤酒廠(ビール工場)」に転用されている。