②北港製糖・月眉製糖所(後の台湾製糖・月眉製糖廠)
北港製糖所の姉妹工場として稼働
明治43(1910)年北港製糖・月眉製糖所として稼働(台中市后里区甲后路864号)。社長に就任した小松楠弥は同工場を「大甲製糖所」(大甲区に由来)と名付けたと云う。
大正4(1915)年、北港製糖が東洋製糖と合併し、同工場は東洋製糖・月眉製糖所と変わり、生産能力は創業時の250トンから日産800トンに引き上げられた。
鈴木破綻により同工場は、大日本製糖の経営となった後、戦後、国民政府に接収され台湾糖業・月眉糖廠として稼働したが、1999年に操業停止。現在は観光施設「台糖月眉観光糖廠」として一般公開されている。