⑧鈴木商店製油所王子工場跡(現・日油旧王子工場跡)
硬化油の増量生産のために王子に新工場を建設
鈴木商店は従来より魚油を取り扱っており、金子直吉は、東京帝大卒(明治45(1912)年)で入社したばかりの久保田四郎に命じて硬化油の研究に従事させた。一年ほど研究し、神戸製鋼所内にパイロットプラントを設置。その後大正5(1916)年に鈴木商店製油所兵庫工場を稼働し、硬化油の量産化を開始した。翌大正6(1917)年、王子工場を稼働した。
金子直吉には、「海外ではすでに石鹸、マーガリンなどの製造に硬化油が盛んに利用されている。日本でもそのような需要が出てくる」との見通しがあり、欧州向け輸出が急増する中、鈴木商店は新たに王子工場の建設に着手する。
王子工場の東京府下北豊島郡王子町という土地は、毎年洪水に襲われるような土地であったが、関東酸曹(後の大日本人造肥料を経て日産化学工業)の電解ソーダから発生する副生水素を活用するためにこの地を選んだ。
王子工場は、はじめ輸出用硬化油、脂肪酸およびグリセリンの生産を目的に創設されたが、その後グリセリンの製造を開始する。グリセリンの真空濃縮を具体化したのは、王子工場が日本で最初の工場とされている。