製鉄

重工業進出へのスタート地点

創業時の洋糖引取商から樟脳、薄荷、製糖の各事業をようやく軌道に乗せた鈴木商店は、次に重工業に進出した。

◆神戸製鋼所
 設立   明治44(1911)年
 所在地  神戸

当時、鉄鋼業は、官営八幡製鉄所が操業したばかりで採算もとれず、とても民間企業が取り組む事業とは考えられない状況であった。神戸製鋼所の前身・小林製鋼所が、東京の書籍商小林清一郎により神戸・脇浜に建設されたのは、明治38(1905)年のことであった。

鈴木商店は、小林製鋼所に輸入機械代金ならびに建設資金を融資していたが、初出鋼に失敗し、資金的にも行き詰まり操業1ヵ月あまりで身売り話が出て鈴木商店に救済を求めて来た。

不本意ながら小林製鋼所を引き受けることになった鈴木商店は、同年神戸製鋼所と改称し、鈴木商店直営工場として運営することとなる。

金子直吉は、田宮嘉右衛門を支配人に起用し、操業継続させたが技術的に未熟なこともあり操業難から再三経営不振に陥り工場閉鎖も度々協議された。

神鋼の経営危機を回避できたのは、先の大里製糖所の売却資金(正味売却益400万円)であった。さらに軍需関係の受注が立ち直りのきっかけとなり、明治44(1911)年鈴木商店から分離独立するところとなって鈴木商店全額出資(資本金140万円)の株式会社として設立された。 

初代社長には、元海軍少将・黒川勇熊を迎え、以降第3,4代社長にも海軍幹部を社長に迎えて呉海軍工廠との関係強化を図り、経営の安定が図られた。実際の経営は、田宮と依岡省輔のコンビで行われた。

関連リンク

  • 創業時の神戸製鋼所
  • 神戸製鋼所・門司伸銅工場
  • 昭和10年頃の本社工場
  • 田宮嘉右衛門
  • 神戸製鋼所の広告

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