発電
工業化に伴い電力需要が増加、電力事業にも進出
中小規模の水力発電事業にも乗り出した。
◆山陽水力電気(現・中国電力芦津発電所)
設立 大正7(1918)年
所在地 神戸
山陽水力電気は、元々加古川(兵庫県)の日本毛織など播州工業地帯への電力供給を目的に設立され、鳥取県・智頭町に「三滝ダム」の建設に着手、日本最後のバットレスダムが昭和12(1937)年に完成。同社は設立当初は、鳥取県内にあった10社を超える小規模電力会社の一つで、日本毛織の社長が社長兼任して運営されたが、その後日本毛織は、因幡水力電気(日本電力系)に売却し、さらに日本発送電を経て現在の中国電力へと変遷した。
◆信越電力(現・東京電力)
設立 大正8(1919)年
所在地 東京
信越電力は大正8(1919)年設立(東京)。設立時の役員として藤田謙一、坂出鳴海を取締役に、金子直吉と同郷の宮尾麟(元台湾総督府技師)を送り込み、同社の実績向上に手腕を発揮したが、鈴木破綻後は東京電灯に吸収される。
信濃川上流で長野・新潟県境を流れる中津川に建設された中津川発電所の建設には、神戸製鋼所が鉄管類の供給を受注、その製造・敷設工事を播磨造船所が請負い、実際の運搬・取り付け工事を大本組が孫請けとして担当した。
大正7(1918)年の米騒動を発端とする鈴木商店焼き打ち事件の折り、押し寄せた群衆から大本百松(大本組創業者)が身を挺してお家さんの本宅を護ったことから、鈴木商店との繋がりが強まった。
◆大田川水力電気(現・中国電力)
設立 大正10(1921)年
所在地 広島・安佐北区(?)
大田川水力電気は大正10(1921)年設立(神戸)。設立時の役員は、社長に吉本亀三郎、取締役に依岡省輔、岡謹一郎が就任した。広島安佐北区を流れる太田川水系の開発、旧亀山発電所?(昭和48(1973)年廃止)鈴木破綻後は吉本系へ移譲された。