鈴木系企業の整理のゆくえ
鈴木商店は破たんしたが・・・
鈴木商店破たんによる関係会社の解体・整理は、台湾銀行によって進められた。財閥やその他の企業に売却された会社、解散・整理された会社、また自主再建を果たし現在につながる会社も多くある。その中には、高畑誠一、永井幸太郎ら鈴木商店社員40名ほどで再起をかけ台湾銀行や財界人の支援を受けて設立した日商(後の日商岩井、現・双日)がある。一方で鈴木商店そのものの再出発は認められず、鈴木家と金子直吉は新生・日商に加わることも許されなかったことから、金子は太陽曹達を軸に再起を図ることになる。
なお、鈴木商店破綻後も、社員の関係は続き、昭和14(1939)年に設立された日本発条は、鈴木商店鉄材部の親睦会がきっかけとなって誕生した。鈴木商店系企業間の関係は様々な形で残り、現在にまで続いている。
■既存・新興財閥その他の企業に売却、移譲された主な企業
鈴木商店発展の基礎を築いた製糖、合成アンモニア、化学事業の中核企業の多くが財閥系に移譲された。言い換えれば我が国の基幹産業の多くは鈴木商店系企業から生まれ、新たな土壌で大きな根を張ることとなった。
◇東洋製糖:明治製糖(現・大日本明治製糖)、大日本製
糖(現・大日本明治製糖)(いずれも三菱商事系)へ
◇塩水港製糖:台湾製糖(三井物産系)へ
◇日本製粉:三井物産へ
◇クロード式窒素工業:三井鉱山(現・下関三井化学)へ
◇日本金属・彦島精錬所:三井鉱山(現・三井金属系彦島精錬(株))へ
◇大日本セルロイド:三菱商事へ(鈴木の持ち株)
◇東京毛織(合同毛織):新興人絹(現・三菱レイヨン)ヘ
◇大源鉱業:大倉鉱業系へ
◇沖見初炭鉱:大倉鉱業系へ
◇信越電力:東京発送電へ
◇大田川水力電気:吉本系へ
◇六十五銀行:神戸岡崎銀行へ
◇帝国麦酒:桜麦酒を経て大日本麦酒へ
◇帝国汽船:国際汽船へ
◇佐賀紡績:錦華紡績を経て大和紡績へ
◇彦島坩堝:東亜坩堝を経て日新耐火工業へ
◇国際汽船:大阪商船へ
■台湾銀行管理に移った後、自主再建した企業
◇大日本塩業:解散後、日塩として再発足
◇合同油脂グリセリン:合同油脂を経て日本食糧工業他と合併し、日本
油脂(第一次)設立
◇旭石油:早山石油、新津石油と合併し、昭和石油へ
◇神戸製鋼所:自主再建、播磨造船所を分離独立
◇浪華倉庫:澁澤倉庫と合併し、澁澤倉庫へ
◇帝国人造絹糸:自主再建
◇太陽曹達:自主再建、太陽産業を経て太陽鉱工へ
◇豊年製油:自主再建
◇東京無線電機:東芝ほかと帝国通信工業を共同設立
◇帝国樟脳:太陽林産(太陽鉱工系)へ
◇日本トロール:日正水産と合弁で共同漁業へ
◇大陸木材:王子製紙と合弁で日露木材へ
■整理・解散した会社
◇関門窯業:解散整理
◇南洋製糖:解散整理
◇帝国炭業:破産処理
◇日沙商会:ボルネオ産業を経て解散
◇株式会社鈴木商店:営業を日本商業へ移譲し、整理・解散
鈴木商店破たんという巨大地震によりさまざまな産業に大きな余震が波及した。製糖業においても業界の再編成を招き、三大資本(三井、三菱、藤山)による独占支配体制を生んだ。生産会社と糖商資本の立場は逆転し、財閥資本による製販体制が確立されて今日の商社主導による業界地図が形成された。世界的な砂糖商であった鈴木商店の破たんが、砂糖流通組織の一大変革の契機となった。
また、化学事業においても我が国初のアンモニア合成事業であるクロード式窒素工業をはじめとする新事業へ既成財閥の進出を後押しする結果となり、我が国の工業化のスピードを加速させた。