米騒動、鈴木商店本店焼き打ち
富山に端を発した米騒動は、暴徒による鈴木焼打ち事件に
大正7(1918)年7月、富山の漁師の主婦による米店襲撃が発生。これを機に鈴木商店などが米の買占めを噂され、マスコミによりその元凶と盛んに報道される最中、同年8月12日、全国に飛び火した米騒動の嵐が鈴木商店を襲った。折しも金子直吉は、日米船鉄交換協約の折衝のため、モリス大使との会談に向かう上京の車中で本店焼打ちの報を受けた。鈴木商店躍進の象徴であった鈴木商店本店(旧みかどホテル)は灰燼と化していた。
鈴木商店、神戸新聞社を焼き払った群衆は、鈴木商店社員寮、日本樟脳事務所、神戸製鋼所の米蔵、兵神館等々を次々に焼打ちし、周辺民家、酒屋、米屋を襲撃・略奪。お家さん・よねが住んでいる須磨の別荘をも襲う動きがあった。折しも播磨造船所の土木作業に携わっていた大本組創業者・大本百松の身を挺した働きで、無事難を逃れることができた。これ以降、鈴木商店と大本組の絆はますます強まったという。
日頃から金子は、頑なに「鈴木は何も悪いことをしているわけではない。鈴木が潔白であることは眼のある人なら知っている。」と一切の弁明をしなかった。この年の12月になってようやく被害当事者・鈴木の立場から、永井幸太郎による「米価問題と鈴木商店」と題する論文が出された。作家・城山三郎の代表作の一つ「鼠」は、神戸の米騒動を題材にして、丹念な取材により永年にわたって不当な評価を受けてきた鈴木商店の汚名を雪いだ労作といわれている。
絶頂期にあった鈴木商店は、米取引にも活発に乗り出しており、外米輸入を積極的に行い、ラングーン・サイゴン米の他に朝鮮米の輸入による米価調整を政府に具申したほどであった。
- 「"不遜な定説" この足で踏んづけた歴史のほころび 掘り出した神戸」城山三郎(たつみ第58号)
- 「米騒動の真実と滅びの美学 鼠ー鈴木商店焼打ち事件」城山三郎(たつみ第58号)
- 「神戸の消防史異聞」 (たつみ第31号)
- 「サンケイ新聞ひょうご事件風俗史・米騒動」昭和51年5月25日(たつみ第25号)
- 「小説『鼠』 好評」久琢磨(たつみ第23号)
- 「執念の鼠~正義の牙で虚像を喰う」久琢磨(たつみ第22号)
- 「米騒動余談」柳田義一(たつみ第10号)
- 「米騒動50周年に思う」井上清(たつみ第10号)
- 「横浜支店時代の思い出」曽根好雄(たつみ第10号)
- 「米騒動余談」 木畑竜治郎(たつみ第6号)