金子直吉
資源のない日本が世界に伍して行くためには、工業と貿易の興隆が不可欠
生年 慶応2(1866)年6月
没年 昭和19(1944)年2月 享年77歳
高知県吾川郡名野川村(現・吾川郡仁淀川町)に生まれ、明治維新において貨幣経済等の混乱期に親の家業(呉服反物を扱う店)は破綻し、6歳のころから高知市に移り住む。長屋での極貧生活を余儀なくされ、紙くず拾いで一家の生計を支え、もちろん、学校は行っていない。鈴木商店に入る前の10年間の丁稚奉公時代に奉公先を転々としたが高知市農人町の傍士久万次質店で落ち着き働く傍ら、質草の本を貪り読み、ありとあらゆる膨大な知識を身につける。(直吉は「質屋大学」と呼んでいる。)直吉が20歳の明治19(1886)年、傍士氏の推薦によって鈴木商店に入店したのである。
鈴木岩治郎が没した明治27(1894)年、よね未亡人を助け柳田富士松とともに番頭として実質の経営にあたるようになり、樟脳事業を担当すると明治33(1900)年には台湾樟脳油の販売権の65%を得るまでになり、直吉は国内外に事業を展開し、鈴木商店の大躍進を見たのである。直吉は以後、「生産こそ最も尊い経済活動」という信念のもとに「煙突男」と揶揄されるほどまっしぐらに工場建設に邁進し、傘下企業のほとんどが生産工場という内訳であり、直吉が築いた大正期の産業の母体としては鉄鋼、造船、石炭、化学、繊維から食品に至るまでの80社を超える一大コンツェルンを形成した。
昭和4(1929)年に刊行された「財界人物我観」の中で福沢桃介(福沢諭吉の女婿で明治・大正期の実業家)は、土佐出身の我が国経済界を代表する二人の人物を紹介している。一人は岩崎弥太郎であり、もう一人は金子直吉であるとし、三菱の創始者である岩崎よりも直吉を高く評価し、金子の事業は優れた人間性、スケールの大きさから他の追随を許さぬほど国益志向に徹し、我が国の基礎産業に先鞭をつけたという。そして、“我が国におけるナポレオンに比すべき英雄”(財界のナポレオン)と讃えた。また、渋沢栄一は「金子は正規の学問こそないが、道理を知るにはよほど明らかで、事業家としては天才的だ」と評している。その他、昭和42(1967)年に開催された神戸開港百年祭の時に当時の原口市長から顕彰状の一節では以下のように称えられた。「あなたは神戸に一大総合商社を育て上げ、今日の港都繁栄はあなたの功績によるところまことに顕著なものがあります」
「無欲恬淡」、直吉の人柄を表すこれ以上の表現は見当たらない。公私にわたり無欲で、直吉の念頭にあるのは「事業」のみ、私利私欲は微塵もない。終生借家住まいで、一文の私財も残さず、昭和2(1927)年、鈴木商店破綻により台湾銀行による鈴木整理にあたって、直吉のあまりに質素な生活ぶりに台湾銀行関係者は驚きと深い畏敬の念を抱いたといわれている。
また、直吉は多くの人材を育てた。北村徳太郎(鈴木商店佐世保支店長、大蔵大臣)は「金子直吉は大教育者であった。人間形成の土台をよく見て、あいつはこういう風に仕向けろというわけです。えらい教育者であった。」
直吉は事業にのめり込むことで妻の顔を忘れてしまうというエピソードがあるが、休日には狩猟と釣り、俳句を愛した。俳句は妻の徳の影響でもあるが、自ら俳号をはじめは「白鼠」(白鼠は主家に献身的な家僕を意味する)、後に「片水」と称し、その時代や当時の鈴木商店の状況、自身の心境から多くの俳句を詠んでいる。代表的なものとして、「初夢や太閤秀吉那翁(ナポレオン)」や先祖の武将元宅へ向けた絶唱「天正の矢叫を啼け時鳥(ホトトギス)」など多くある。
- 「豪州人に惹かれた金子直吉翁」神戸新聞
- 「金子直吉に関する断片」鍋島高明(たつみ第76号)
- 「金子直吉翁に学ぶ」吉原強(たつみ第75号)
- 「金子直吉さんの古里 土佐に顕彰碑建立される」西森文明(たつみ第75号)
- 「経済野話(その四)」金子直吉(たつみ第73号)
- 「経済野話」(その三)金子直吉(たつみ第72号)
- 「経済野話」(その二)金子直吉 (たつみ第71号)
- 「経済野話」金子直吉著(たつみ第70号)
- 「北村徳太郎随想集」~岩下清周と金子直吉~(たつみ第70号)
- 「財界太平記」三宅晴輝著(たつみ第70号)
- 「徳の人・智の人・勇の人」藤原銀次郎著(たつみ第70号)
- 「人使い金使い名人伝」中村竹二編(たつみ第70号)
- 「小笠原三九郎伝」常盤嘉治著(たつみ第70号)
- 「金子直吉の鉱山業への野望」須藤欽吾(たつみ第69号)
- 随筆「懐古50年」石谷金治郎(たつみ第69号)
- 「先人との対話(抜粋) 金子直吉=大屋晋三」三戸節雄(たつみ第68号)
- 「講演 金子直吉翁を語る」森本準一(たつみ68号)
- 「座談会 ~金子直吉を語る」(たつみ第67号)
- 「金子翁 福沢桃介著"財界人物我観"より」(たつみ第66号)
- 「金子さんの思い出」住田正一 他(たつみ第64号)
- 「金子直吉」山本勲(たつみ第63号)
- 「晩年の金子直吉翁と栄町時代の太陽産業の事業」横田周作(たつみ第58号)
- 「金子直吉大人命五十年祭詞」長田神社宮司 津田信基(たつみ第58号)
- 「金子直吉」藤原銀次郎(たつみ第57号)
- 「商機の生神様 金子直吉」長崎英造・住田正一(たつみ第57号)
- 「金子直吉と大正の企業家」城山三郎(たつみ第57号)
- 「金子直吉大人命二十年祭祝詞」福田義文(生田神社権宮司)(たつみ第53号)
- 「土佐の歴史と文化を訪ねて④金子直吉」広谷喜十郎(たつみ第52号)
- 「企業の盛衰に学ぶ~鈴木商店と金子直吉」桂芳男(たつみ第52号)
- 「金子直吉翁叙位、叙勲への申請資料」日商岩井大阪本社秘書室(たつみ第51号)
- 「随想 アイロニー」牧冬彦(たつみ第51号)
- 「"フィクション漫画 鈴木商店" 集英社-(2)」(たつみ第49号)
- 「金子武蔵氏逝去」「弔辞」(たつみ第49号)
- 「"フィクション漫画 鈴木商店" 集英社発刊」(たつみ第48号)
- 「震災と鈴木商店」柳田義一(たつみ第38号)
- 「金子直吉翁の片鱗」隅田栄(たつみ第37号)
- 「随筆 金子翁」森本準一(遺稿)(たつみ第36号)
- 「鈴木商店と金子直吉」桂芳男(たつみ第35号)
- 「人間金子直吉翁と私」橋本隆正(遺稿)(たつみ第33号)
- 「鈴木商店を研究するへんな外人・ウォルトンさん」(たつみ第30号)
- 「国益志向の経営」桂芳男(たつみ第30号)
- 「金子直吉学長の思い出」松井タケヨ(たつみ第20号)
- 「半年坊さん語る ~金子・柳田両翁とその他」隅田栄(たつみ第29号)
- 「太閤秀吉と金子直吉翁」小野三郎(たつみ第28号)
- 「金子直吉翁物語」(森本準一氏 落穂集より)(たつみ第26号)
- 「金子直吉と大正の企業家」城山三郎(たつみ第25号)
- 「松方・金子物語によせて」(たつみ第19号)
- 「金子翁を偲びて」高教一(たつみ第16号)
- 「金子直吉翁を偲ぶ」永井幸太郎(たつみ第4号)
- 「私の足跡を省みて ~故金子直吉翁にお目にかかった印象~」 酒井 温(たつみ第8号)
- 「金子さんの話」 森本準一(たつみ第8号)
- 「ある日」 金子武蔵(たつみ第8号)
- 金子直吉翁の20年祭に臨みて (柳田義一)(たつみ創刊号)
- 「満州国へ招聘された金子翁の思い出」 福渡一雄(たつみ第2号)
- わが心の自叙伝(1) 金子武蔵 (たつみ第4号)
- わが心の自叙伝(2) 金子武蔵(たつみ第5号)
- わが心の自叙伝(3) 金子武蔵 (たつみ第6号)
- 金子直吉に関する関係者・各界人の言葉シリーズ①「鈴木家・金子家の親族の言葉」
- 金子直吉に関する関係者・各界人の言葉シリーズ②「鈴木商店元社員の言葉」
- 金子直吉に関する関係者・各界人の言葉シリーズ③「鈴木商店ゆかりの企業の幹部の言葉」
- 編集委員会ブログ>自然総研の情報誌「トイロカルチャー」に金子直吉が紹介されました。
- 経済野話(現代訳・抄訳)①「経済史眼の必要」
- 経済野話(現代訳・抄訳)②「国字の経済的改良」
- 経済野話(現代訳・抄訳)③「米の経済的地位」
- 経済野話(現代訳・抄訳)④「物価論」