辰巳会・会報「たつみ」シリーズ⑪「第11号」をご紹介します。

2020.9.15.

たつみ第11号.png「たつみ第11号」が発行されたのは昭和44(1969)年7月10日。同年4月4日、故西川文蔵支配人の50回忌法要並びに辰巳会物故会員慰霊の全国大会が神戸・祥龍寺に於いて執り行われたことが記されています。(下記の関連資料をご覧ください。)

 鈴木商店が創業された明治7(1874)年、近江商人の郷・滋賀県高島郡に生まれた西川は、東京高商(現・一橋大学)に学んだが卒業寸前に学園紛争に巻き込まれ中退を余儀なくされ、鈴木商店に入店。忽ちその才能を認められ、金子直吉の推薦で支配人となり、金子の補佐役としてかけがえのない存在となったばかりか、若手社員の面倒をみており、多くの社員から慕われていた。大正9(1920)年、46歳(数え47歳)の若さで急逝した西川を偲び、当時入社間もない澤村亮一氏が投稿しています。

◇「支配人 西川文蔵さんの憶い出」  澤村 亮一

 入店間もない頃の筆者が出会った西川支配人は、相当なお年寄りに見えた印象が残っていると述懐し、西川さんの数限りない遺徳の追憶は何時までも果てることがない。思い出すままにエピソードを紹介したいと綴っている。

 "金子さんの長大息(ちょうたいそく)"   西川さんの通夜の帰り、偶々金子さんの車に便乗を許された車中でのこと、筆者が「西川さんもお亡くなりになり、洵(まこと)にお気の毒ですね」と云うや否や金子さんは、「何、気の毒、それどころじゃない。マッコト残念に堪えぬ!」と長大息されて後は無言の境。

 全く冷水三斗を浴びた心地だった。金子は、自身の長男に文蔵の名を授けた程、西川に対する信頼の情が深かったことを思うと西川の死は、如何に失望が大きかったのか、その時の金子の語気から十分察せられた。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇「明治時代の思い出」 松島 久之助

 明治40(1907)年、20歳だった筆者が入店した鈴木商店は、個人商店から合名会社に改組し、栄町通3丁目の木造レンガ造り2階建洋館に居を構えていた。元々横浜正金銀行・神戸支店として建てられた建物を買い取り、金融・ビジネスの中心地・神戸栄町通の表舞台に進出した最初の拠点。

 本店1階には、砂糖部出納係、樟脳部受付等が占め14,5名の社員が居り、北側の洋室にはお家さんの座れる畳一畳が敷かれていた。2階の半分は、社員の居室、奥半分には、重役文書係、外国係、経理等で7,8名が働いていた。

 筆者は、1階の樟脳部に配属されたが、西川支配人の前で仕事をすることになった。当時、店では金子、西川、上田(貢太郎)3氏の他は皆和服角帯姿で働いていたこと、大里製糖所を日糖へ売却して間もない頃で、特別賞与が支給されたこと、輸出部で関係のあるポップさん(ドイツ商館出身のエミール・ポップ)を雇い入れ、日本商業会社が設立され、鈴木から香川氏と筆者の二人が転任してカネ辰を離れたことなど、次々に蘇える思い出を綴っています。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇「続 宇治川夜話~亜米三倶楽部の回想」黄旗亭(木畑龍治郎)

 宇治川(東川崎町)本店時代にボンさんとして入社した筆者が、本店焼打ちの翌年、大正8(1919)年、神戸下山手六丁目に福利厚生施設として設けられた「鈴木商店寮舎及び体育設備(通称"亜米三倶楽部"」での体験を懐かしく記しています。

 同倶楽部ができるまでは、例年、年始には須磨大手の鈴木家本邸や重役、支配人宅へそれぞれが年賀の挨拶に伺っていたが、大正9(1920)年の新年からは、社員全員が同倶楽部に集って新年を祝うことになった。お家さんを始め、若主人(二代目岩治郎)、金子、柳田の大御所、西川(文蔵)、森(衆郎)の両支配人が揃う年賀式は、身の引き締まる感激を覚えた。

 また、同倶楽部には、テニスコート、土俵、ビリヤード台などが備えられ、取り分けテニス(軟式庭球)に共に汗を流した同僚、先輩との思い出は尽きることがない。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「神戸薄荷の起源と全盛時代」(神戸市史から)

 明治35(1902)年、鈴木商店により直営薄荷工場が建設され、従来、横浜港から輸出されていた薄荷が神戸港からも世界に向けて輸出されることになった。この直営薄荷工場こそ、後の「鈴木薄荷」の起源であり、神戸の薄荷事業の始まりである。

 大正12(1923)年の関東大震災により横浜の先発薄荷商の工場は、壊滅的な被害を受け、先発5大メーカーのうち4社が神戸に移転、神戸は、横浜に代わって薄荷製造の中心地に発展した。

 一方、薄荷の主な生産地は、北海道に移り、わが国の薄荷生産額は、世界の80%を占めるようになり、わが国の輸出農産物では樟脳とともに主要な地位を占めた。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇哀悼  近年会員の訃報が相次ぎ、本号では同僚、先輩の逝去を悼む投稿が目立っています。

 「北村徳太郎大先輩餘芳」鈴木丸衛 / 「土井内蔵さんと私」冨永初造  

 「噫(ああ)芳川さん」 藤内金次 / 「噫 住田正一君」 高畑誠一 / 「故竹村房吉氏を偲ぶ」小野三郎 / 「井上与之助君逝く」今村頼吉

 「ある思い出~故柳田彦次氏」 野田良国

 

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