羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑭「羽幌炭砿創立20周年に寄せて(羽幌炭砿鉄道専務取締役 朝比奈敬三)」をご紹介します。

2018.6.2.

asahinakeizou.jpg前回に続き、羽幌炭砿が昭和35年7月に創立20周年を迎えるに当たり社内報「石炭羽幌」に掲載された当時専務取締役であった朝比奈敬三(写真)の寄稿文をご紹介します。

この寄稿文では、羽幌炭砿は避遠の地(国鉄羽幌線の築別駅から16.6㎞内陸部に位置していた)にありながら抜群の成績を挙げるに至ったことは希少の例であること、開発当初からの「低迷時代」「苦悩時代」を経て20周年を迎えた昭和35(1960)年当時は「合理化時代」と称してもいいことなどが綴られ、第二の理想境に向けて進軍を開始すべく従業員の奮闘を促しています。

羽幌炭砿は昭和25(1950)年の長期スト終結を機に、不断の合理化を推進するとともに出炭量の増加に邁進し強靭な経営体質を築き上げましたが、その中心にいたのが年産800万トンを誇る満州の()(じゅん)炭鉱で採炭の第一線に立ち最先端技術を有していた朝比奈です。羽幌炭砿は朝比奈の指揮の下、まず築別炭砿において「鉄柱カッペ採炭」の開始、「大竪入(おおたていれ)坑道」「ベルト斜坑」の完成など次々に合理化・技術革新を推進していきました。

朝比奈は "今後の十年こそ石炭界は刮目(かつもく)に値するものと思う" とも語っていますが、当時石炭から石油へのエネルギー革命が進展しつつあったとはいえ、いったい誰が "10年後" の昭和45(1970)年に羽幌炭砿が閉山することを想像できたでしょうか。

寄稿文の全文は下記の関連記事をご覧下さい。

羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑭「羽幌炭砿創立20周年に寄せて(羽幌炭砿鉄道専務取締役 朝比奈敬三)」

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