米沢市の「松が岬第2公園」にて「秦逸三の胸像移設除幕式」が開催されました。
2016.9.28.
東京帝国大学工科大学応用化学科(現・東京大学工学部応用化学科)の同窓で苦難の末にわが国初の人造絹糸(レーヨン)の工業化に成功し、帝国人造絹糸(現・帝人)の設立に極めて重要な役割を果たした秦逸三と久村清太の二人は、昭和3(1928)年に"ビスコース法レーヨンの工業化"により藍綬褒章を受章しました。
昭和27(1952)年9月、帝国人造絹糸は二人の偉大な功績を讃えるため、秦逸三の胸像を三原工場に、久村清太の胸像を岩国工場に設置しました。
帝人の機構改革の一環により三原事業所(旧・三原工場)(広島県三原市円一町)が繊維関連の製造を海外に移管したことを機に、帝国人造絹糸の前身である鈴木商店傘下の東工業米沢人造絹糸製造所の設立から100年目の平成27(2015)年、帝人から発祥の地・米沢市に秦逸三の胸像が寄贈され、この度「松が岬第2公園」に関係者が参集し、移設除幕式が開催されました。
秦逸三は鈴木商店(金子直吉)の支援を受けながら米沢高等工業学校(*)で応用化学科の講師(後に教授)を務めながら人造絹糸製造の研究に邁進しました。その意味からも秦逸三と米沢市は切っても切れない関係にあります。
(*)旧米沢高等工業学校本館の建物はルネッサンス様式を基調とする木造2階建で、山形大学が所有しており、昭和48(1973)年に国の重要文化財に指定されました。現在は資料館として公開され、2階には「秦逸三教授記念展示室」が設けられています。なお、8月24日からはがん検診啓発運動への活用や米沢市の新たな観光スポットの創出を目的とした ライトアップが始まっており、幻想的な建物の姿を見ることができます。
上の写真左は秦逸三、右は旧米沢高等工業学校本館です。
長年雨風にさらされた胸像は寄贈に際し、酸化被膜除去、襟部の溶接補修、下地材塗布、青銅色上塗、屋外用被膜塗布などの措置を施すことによりリニューアルされました。
また、帝人三原事業所の秦逸三の胸像の後方に設置されていた「碑文」は、すでに市内の「御成山公園」に建立されている「人繊工業発祥之地」の石碑の左隣に移設されています。
【秦逸三の胸像移設除幕式 概要】
※以下、敬称略
■日 時
平成28年9月25日(日) 午前10:00~10:20
■場 所
松が岬第2公園(米沢城址)
※米沢市丸の内1丁目
■主 催
米沢市
■主な出席者
〇帝人
・代表取締役社長 鈴木 純
・三原事業所長 斎藤 安彦
・常務執行役員 小川 恒弘
・調査・渉外グループ 調査役 吉岡 伸之
・米沢里帰りツアーに参加された帝人の社員の方々(一般観光客として参加)
〇秦逸三の親族
・國學院大學経済学部教授 秦 信行(秦逸三の孫)
・その他親族12名
※秦教授は昭和27(1952)年、3歳の時に帝国人造絹糸三原工場にて開催された秦逸三の胸像の除幕式において除幕の介添役を務めておられ、同じ胸像の除幕式に再び臨まれたことになります。
※胸像の台座に記されている「秦逸三之像」の文字は、秦教授のご子息・秦頼太の揮毫によるものです。
〇山形大学工学部長 飯塚 博
〇一般社団法人米沢工業会 理事長 山崎 洋一郎
〇米沢市
・市長 中川 勝
・産業部長 山口 昇一
〇辰巳会・鈴木商店記念館関係者(オブザーバーとして参加)
・西川 泰(日商岩井初代社長・西川 政一のご子息、元・帝人三原工場勤務)
・小宮 由次(鈴木商店記念館編集副委員長)
・金子 直三(鈴木商店記念館編集委員)
■セレモニー
当日は久方ぶりの晴天に恵まれ、恒例の「第5回なせばなる秋祭り」に訪れた多くの観光客、報道関係者らが見守る中、冒頭に中川米沢市長からのご挨拶があり、続いて来賓紹介、鈴木帝人社長、秦國學院大學教授、飯塚山形大学工学部長によるご挨拶と続き、皆様からこの度の胸像移設を機に帝人、米沢市、山形大学相互の関係をより一層強固なものにしていくべく決意表明がなされました。
上の写真は左から、中川市長、鈴木社長、飯塚工学部長、秦教授です。
続いて、鈴木社長、斎藤三原事業所長、秦逸三の親族(逸三の玄孫9歳と6歳)、飯塚工学部長、中川市長の介添えによる除幕が執り行われ、最後に記念の写真撮影をもって除幕式のすべてのスケジュールは滞りなく終了しました。
なお、胸像の設置場所は米沢藩中興の祖、第九代藩主・上杉鷹山公座像の右隣りという好立地に位置しています。秦逸三に関心をお持ちの方は、米沢を訪れる機会がありましたら是非現地にお立ち寄り下さい。
秦逸三、久村清太については下記の人物特集をご覧下さい。