辰巳会・会報「たつみ」シリーズ②「第2号」をご紹介します。

2020.3.4.

たつみ第2号表紙.png 「たつみ 第2号」の表紙を飾るのは、金子直吉が須磨一の谷の"貞照寺"に寄進した十六羅漢石仏の写真です。(これらの石仏は、現在は須磨寺の境内に移設されています。)

 たつみ第2号は、昭和39(1964)年12月1日に発行されましたが、予てより提起されていた「辰巳会法人会員制度」設立案が本号特報として掲載されました。法人会員は、その後の辰巳会活動を永く支えることになります。

褒章受章者

 この年、辰巳会会員(元鈴木商店社員)の叙勲が相次ぎ、稀にみる栄誉の吉報が重なったことを報じています。

〇森本準一  紺綬褒章  昭和39年3月4日 / 〇村上弘一  紺綬褒章  昭和39年3月18日 / 〇中井義雄  藍綬褒章  昭和39年5月3日 / 〇山野上重喜 緑綬褒章   昭和39年10月28日 / 〇浅田長平  勲二等瑞宝章  昭和39年11月3日 / 〇永井幸太郎 勲三等旭日中綬章 昭和39年11月3日 / 〇森本準一  黄綬褒章  昭和39年11月3日 / 〇北村徳太郎  勲二等旭日重光章  昭和39年11月3日

 辰巳会会員の叙勲は、上記の他、昭和19年の浅田長平の緑綬褒章を始め、永井幸太郎、外島健吉、高畑誠一等々の藍綬褒章など16名を数えます。

◇鈴木よね刀自27回忌・鈴木岩蔵殿13回忌法要

 この年の出来事として鈴木よね27回忌および鈴木岩蔵13回忌法要が神戸・オリエンタルホテルで会員163名の参集を得て厳かに執り行われたことが記されています。(詳細は、下記の関連資料をご覧ください。)

◇「レヂヨン・ド・ノール(原文)」 小川 実三郎

 会員の投稿として、小川実三郎氏(金子直吉の長文の手紙「天下三分の宣誓書」をロンドンへの赴任の折、支店長・高畑誠一に持参した人物)が鈴木商店破綻後、お家さん・鈴木よねがフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章した時の思い出を載せています。本来なら東京のフランス大使館で同勲章を受けるところ、昭和2年4月の"お店の変"以後は、一切公式の席には出られなかったお家さんの事情から、大使に代わって神戸駐在の領事が須磨の鈴木邸に出向いて来られることになった。領事が来られる当日は、お家さんは紋服に身を正し、店からは高畑(誠一)、永井(幸太郎)、北浜(留松)の三氏に加え、小川氏が領事を迎えられたと。領事自ら持参の函から勲章を取り出し、お家さんの胸元に勲章を佩(つ)けられたと記述しています。

 また、お家さんがこの勲章を受章したのは、鈴木商店がフランスのレール・リキッド社よりアンモニア合成技術「空中窒素固定法」特許を取得、大正11(1922)年「クロード式窒素工業(現・下関三井化学)」を設立したことが、フランスの利益に貢献したと高く評価されて授与されたものと伝えられてきましたが、小川氏が仄聞(そくぶん)したところでは、当時京都に建てられていた「日仏会館」の建設にお家さんの多大な協力があったことを評価されたものとの見解を述べられています。(因みに「日仏会館」(関西日仏会館)は、昭和2(1927)年、京都市左京区にフランス政府公式の文化センターとして建設され、本年、創立90周年を迎えます。現在、「アンヌティチュエ・フランセ関西」と名称が変わっています。) (詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇「満州国へ招聘された金子翁の思い出」  福渡 一雄

 昭和14年夏、満州国の招きで渡満された金子直吉が大連経由で満州国に入ることになった。当時、鞍山(現在の中国遼寧省鞍山市)に駐在していた筆者は、日商大連支店長と連携して金子を迎え入れ、神鋼鞍山工場や満鉄鞍山製鉄所を前身とする昭和製鋼所などを案内した。金子の満州滞在中、金子より鈴木商店の事業の急拡大に伴い、個人経営から合名会社に改組して信用力を高める必要性を"横浜正金銀行"から説かれたとの裏話を聞かされた。また、昭和製鋼所視察の折、液体酸素を使って採砿しているのを見て、辻湊が進めている"石炭液化計画"に応用するよう関係者に伝えるよう指示していたこと等、金子の懐かしい思い出を綴っています。(詳細は、下記も関連リンクをご覧ください。)

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