鈴木商店こぼれ話シリーズ⑧「深江文化村に残る冨永邸は2×4(ツー・バイ・フォー)住宅の原型」をご紹介します。
2017.5.31.
神戸・芦屋川河口西側の深江(現在の神戸市東灘区深江南1丁目)は、大正期には白浜青松の浜辺に面する風光明媚な地であった。1917年のロシア革命後、迫害を逃れて白系ロシア人の音楽家、芸術家が移り住み、彼らを慕う服部良一(音楽家)、貴志康一(バイオリン奏者)、朝比奈隆(指揮者)など日本人門下生や音楽家、小磯良平(画家)らが大正中期から昭和初期にかけて集まり13軒の洋館の邸宅を構えたことから後に「深江文化村」と呼ばれるようになった。
しかし、戦後の混乱、高度成長期、バブル期、阪神・淡路大震災を経て13軒あった洋館群は、現在ではわずかに冨永邸、古澤邸の2軒が残るのみとなった。いずれも関係者が住んでおり神戸市指定景観形成重要建築物に認定されている。
冨永邸は、大正14(1925)年竣工の米国2×4(ツーバイフォー)工法による西洋風住宅で、鈴木商店シアトル駐在員だった富永初造が帰国後、木材部材を米国より取り寄せて建築したもので、米国人建築家・ベイリーの設計による2×4工法の原型をなすもので、近代建築史上貴重な建築物として認定されている。現在の富永邸には、初造の長男幹太氏の夫人が住まわれており、築90年の文化財を守られている。
今日、"木造枠組壁工法"とも呼ばれる2×4工法住宅は、17世紀の米国開拓時代に開発された木造住宅で、床・壁・天井の枠材に板材(合板)を釘打ちして面によって構造を支える同工法の原型が誕生した。今日、米国、カナダでは木造住宅の90%以上がこの工法による。
我が国に2×4工法が導入されたのは、明治時代に入って間もなくのことで北海道開拓時代の屯田兵住宅が最初で、その後、横浜、神戸の洋館に広まった。札幌時計台(明治11(1878)年建設)や札幌・豊平館(明治18(1885)年建設、元ホテル、重要文化財)に2×4工法の原型が見られる。
大正時代に入ると2×4住宅が盛んに輸入されるようになった。鈴木商店シアトル支店で木材を担当し、木材のプロとして同工法住宅の性能等を熟知していた冨永初造が建築した住宅は、札幌時計台、豊平館と並び2×4初期の工法によるもので、その原型をなす貴重な建築物である。