「神戸発祥の総合商社の源流・鈴木商店を知る」第3回勉強会で、当記念館の編集副委員長・小宮由次氏が講師を務めました。
2019.1.28.
この度、金子直吉の書簡を題材にした「神戸発祥の総合商社の源流・鈴木商店を知る」第3回勉強会が開催されましたのでご紹介します。
今回は、金子直吉が逓信大臣、内務大臣、外務大臣ほか数々の要職を歴任し、金子と昵懇の間柄であった後藤新平に宛てた5点の書簡を取り上げ、第2回勉強会に続いて当記念館の編集副委員長・小宮由次氏が、これらの書簡が書かれた当時の時代背景とともに鈴木商店の活動状況、金子の意図するところなどを中心に解説しました。
【第3回勉強会 概要】
■日時 平成31年1月26日(土) 14:00~15:30
■場所 神戸ポートオアシス5階 502会議室(神戸市中央区新港町5番2号)
■講師 小宮由次(鈴木商店記念館編集副委員長)
■主催 神戸市(みなと総局 計画課 港湾計画課)
■テーマ 「後藤新平宛て書簡」から読み取れるもの ~関係書簡より鈴木商店の実像に迫る~
後藤新平の生誕地・奥州市(旧水沢市)にある「後藤新平記念館」には、後藤と親交のあった政治家、実業家、軍人、文化人など100人を超える人々からの4,000通を超える書簡が収められています。
その中には金子直吉が後藤に宛てた100通におよぶ書簡(商況の報告から事業の相談、内外の政情に至るまで多岐にわたっています)も含まれており、この度、同記念館より特別に教材として5点の書簡をご提供いただき、今回の勉強会の開催となったものです。
※上の写真は、金子直吉(左)と後藤新平(右)です。
※上の写真は、今回ご紹介した金子が後藤に宛てた5点の書簡です。(これらは書記役によって書かれたもので、金子の直筆によるものではありません)
勉強会は主催者である神戸市みなと総局 計画部 港湾計画課・田中謙次係長の司会で始まり、第2回勉強会と同様に、次の5点の各書簡についてポイントとなるフレーズを参加者の皆様に音読していただきながら進められました。
(1)再生樟脳契約継続の件(明治37年4月2日付書簡)
金子直吉の働きにより台湾総督府初代民生長官・後藤新平の信頼を勝ち得た鈴木商店は、台湾産「樟脳油」の過半の販売権を獲得したことにより、神戸における直営樟脳製造所の設立をはじめ、薄荷、製糖等生産事業への第一歩を踏み出すことになり、その後の鈴木商店の大躍進の最初の契機となりました。
台湾総督府専売局より払い下げられる樟脳油について、内地において進められた「再製樟脳」事業(樟脳油を分解して再製樟脳[粗製樟脳]を製造する事業)については、明治33(1900)年下半期より台湾総督府の直営事業から転換し委託事業(請負再製)としても進められましたが、本書簡は鈴木商店との委託契約が3カ年継続になったことに対する礼状です。
※上の写真は、樟脳油です。
(2)関門調査による彦島活用の件(明治42年4月22日付書簡)
鈴木商店は、明治36(1903)年に門司市の大里に設立した大里製糖所(現・関門製糖)を競合先であった大日本製糖に売却することにより同社が生産する砂糖の一手販売権とあわせて巨額の売却益を獲得します。
鈴木商店はこの売却益を基に大里および関門海峡を挟んだ対岸の彦島に鈴木系企業の工場を次々に建設し、鈴木の一大工業団地を形成していきました。
本書簡は、大里と彦島の将来性とその活用について金子直吉の見解を伝えるとともに、後藤新平の視察を要請するものです。
※上の写真は、関門地区の航空写真で手前が大里、関門海峡を挟んで対岸が彦島です。
(3)内閣総辞職、濱口雄幸処遇の件(大正3年3月24日付書簡)
金子直吉は、鈴木商店が大正2(1913)年に東亜煙草を買収した際に、当時専売局長官であった同郷の濱口雄幸(後・第27代総理大臣)に出会います。
金子と濱口はその後も親密な関係が続きますが、本書簡は、第1次山本権兵衛内閣の総辞職間近の時期に、かねてより濱口に目をかけていた後藤新平に濱口の次期内閣での然るべき処遇を要請したものです。
(4)露国からの樟脳の注文の件(大正3年10月13日付書簡)
第一次世界大戦が勃発する直前、鈴木商店はロシアより相場に影響がおよぶほどの大量の精製樟脳の注文を受けます。
本書簡は、ロシアによる大量の注文の真意(「石炭酸」の代替としての消毒用なのか、「無煙火薬」用なのか)を調査すべく後藤新平に依頼するものです。
※左の写真は、樟脳の白色結晶です。
(5)大連支店長・平高を張作霖に紹介する件(大正11年5月25日付書簡)
大正11(1922)年、鈴木商店の大連支店長は西川文蔵の実弟・西川貴地から平高寅太郎へと交代します。平高は鈴木商店の「四天王」の一人で、樟脳事業を除けば、鈴木商店が台湾で新たに手がけた事業はすべて平高が企画・実行したものであり、「鈴木の台湾探題」の異名にふさわしい業績をあげた実力者でした。
本書簡は、平高を当時満州の実権を握っていた奉天軍閥の首領・張作霖に引き合わせるべく後藤新平に要請し、後藤からの紹介状を藤田謙一を通じて受領したことに対する礼状です。
当日は、満席となる70名余(関係者を含む)の方の参加をいただき、綿密な調査に裏打ちされた小宮氏の解説に熱心に聞き入り、配布された書簡(写し)、解読文を熱心に見入る姿も数多く見られ、大好評のうちに終了しました。
今回は、後藤新平が台湾総督府の初代民生長官時代に金子直吉と出会って以来、その後も二人の信頼関係が揺るぎない強固なものであったことを、金子の書簡を通じて改めて確認することができた点においても大いに意義のある勉強会であったと思います。
今回の勉強会の詳細については、下記の関連資料をご覧下さい。
■第4回勉強会(鈴木商店関係書簡から鈴木商店の実像に迫る)[勉強会の最終回]は平成31年2月23日(土)14:00~15:30、当記念館の編集委員(双日総合研究所調査グループ・サブリーダー)の前田勝氏による勉強会(テーマ:"米騒動から100年" ~「米価問題と鈴木商店」から振り返る鈴木商店焼打ち事件~)を予定しています。
■第4回講演会[講演会の最終回]は平成31年3月9日(土)14:00~15:00、株式会社市場経済研究所代表取締役、当記念館監修の鍋島高明氏による講演(演題:金子直吉と岩崎弥太郎 ~共通点と相違点~)を予定しています。
講演会・勉強会とも、申込開始日などの詳細につきましては神戸市のホームページ等で随時ご確認下さい。