辰巳会・会報「たつみ」シリーズ㉝「たつみ第33号」をご紹介します。
2022.2.5.
「たつみ第33号」は、昭和55(1980)年8月1日に発行されました。本号の表紙を飾るのは、作陶作家(陶芸家)・福井信義氏の美濃焼(多治見焼)の作品。"軒平瓦"に模した陶器に二羽のサギが描かれています。
本年は、辰巳会設立20年目にあたり記念全国大会が開催されたこと、また鈴木商店を題材にした「海鳴りやまず」の舞台公演がいよいよ来年実現されることがトピックスとして紹介されています。
また、この度偶然にも「たつみ会本部」に鈴木商店時代の人事通知2通が寄せられました。当時の動静を知る貴重な資料です。一通は、大正6年10月8日付、もう一通は、大正12年9月8日付。
大正6年の人事通知には、本号に投稿された三浦平治氏の本店受付係に採用された記録が残されている。また、大正12年の人事通知には、関東大震災発生直後の通知で、鈴木商店が震災罹災者救援のため自社の汽船3隻(崋山丸、山城丸、備後丸)を仕立て、救援物資を積み込んで京浜に向かったこと等逼迫した模様が記録されている。(詳細は、下記の関連資料をご覧ください。)
◇辰巳会20周年記念全国大会
昭和35(1960)年、神戸国際会館に於いて辰巳会第一回全国大会が開催されてから20年目にあたる昭和55(1980)年5月14日、神戸祥龍寺に135名の会員が集い「辰巳会20周年記念大会」が催された。
鈴木会長の献花に続き、辰巳会幹事による物故会員の慰霊の合掌が行われた。また当日は大阪梅田コマ劇場の伊藤社長、脚本家の花登筺(はなと こばこ)氏が出席され挨拶された。
過年、神戸新聞に連載された「海鳴りやまず」を明年に開催される神戸博「ポートピア'81 神戸」を記念して劇化公演が決定したことから辰巳会に挨拶に来られたもの。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
予てより鈴木商店の劇化に熱意を持つ筆者(大阪梅田コマ劇場社長)は、来年開催される博覧会「ポートピア'81」への協賛公演として花登筺氏の脚本、演出により「海鳴りやまず」の劇化を決定した経緯を本誌に寄せている。
出演者との交渉も順調に進んでおり、来年昭和56(1981)年4月の公演に向けて準備を進めている。(詳細は、下記の関連リンクおよび花登筺氏のインタビュー記事を併せてご覧ください。)
◇「人間金子直吉翁と私」橋本隆正(遺稿)
太陽鉱工(株)元専務で、昭和45(1970)年に亡くなるまで辰巳会の発展に尽くした筆者が、神戸高商の学生だった19歳の頃より生涯にわたる金子直吉との思い出を遺している。
神戸高商時代には書生として金子家族と起居を共にし、鈴木破綻後、太陽曹達を中核に再起を図る金子に身近に仕えた筆者は、事業家としての金子は勿論、情愛、情操に溢れる金子の人間性に触れた歓びが忘れられない。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
◇「私の受付係時代」三浦平治
兵庫県南西部・西播磨地区出身で大正6(1917)年、地元の尋常高等小学校を卒業した筆者は、神戸栄町の海産物・薬種問屋に就職するも自身の臭覚異常体質からこの職種不適格と知り転職を決意、同年鈴木商店に"ぼんさん"として本店受付係に中途採用された。(下記の関連資料の「鈴木商店人事通知」に採用記録が残されている。)
受付係の主な仕事は、掃除、お茶くみ、来客の案内、信書の配布等でこの他に須磨・大手の本家への使い・連絡があった。本家の勝手口から用事を済ますとお家さんから紙に包んだ菓子を頂いた。お家さんから最初のうちは"ぼんさん"と呼ばれたが、名前を尋ねられてからは"三浦"と呼ばれるようになったのが懐かしい。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)