辰巳会・会報「たつみ」シリーズ㉞「たつみ第34号」をご紹介します。

2022.3.19.

たつみ第34号表紙.png「たつみ第34号」は、昭和56(1981)年1月1日に発行されました。本号の表紙を飾るのは、神奈川県箱根町の諏訪神社の"湯立獅子舞"の絵で、獅子が湯釜を湯笹で浄め、神社に湯花を献上して氏子の安寧を祈念して湯花を撒くという例祭を描いたもの。

 本号では、珍しい写真2点が紹介されている。一つは、二代目鈴木岩治郎の長女で、ロンドン支店長・高畑誠一に嫁ぐため渡英途上の記念撮影に納まる鈴木千代子さん(本名ちよ)、もう一つは、元神戸市立南蛮美術館(現・神戸市立博物館)館長、元神戸兵庫区長で、明治・大正期の神戸の写真集の出版者でもあり、辰巳会ともゆかりのある荒尾親成氏が所蔵する忠臣蔵・大石良雄(内蔵助)の自筆書状である。(詳細は、下記の関連資料をご覧ください。)

◇「鈴木商店の思い出(3) 横浜支店時代」中村元義

 大正3(1914)年、"ボンさん"として入社した筆者は、大里酒精製造所での3年間の勤務(たつみ第31号)、大正6(1917)年、再び神戸本店に転任(たつみ第32号)、1年後の大正7(1918)年、横浜支店に転勤となり足掛け4年の横浜支店時代の思い出を綴っている。

 この間、"ボンさん"なる呼び名は廃止され、見習い社員として一人前の仕事を任されるようになった。しかし、見習い社員は、背広着用は認められないとの慣例を支配人に直訴して特例として認められたこと、また本店焼打ち(大正7年8月12日)の余波が横浜支店にも及ぶと懸念して山下公園に様子を見に行き、暴徒の襲撃の最中、警備の刑事に捕らえられ警察署に連行・収容されたこと等々が思い出される。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「"海鳴りやまず"上演」

 ポートピア '81神戸博協賛、大阪梅田コマ劇場開場25周年記念公演として花登筺脚本・演出による"鈴木商店一代記"「海鳴りやまず」の舞台化&上演が決定したことが紹介されている。(期間:昭和56年4月2日~4月28日)

 鈴木ヨネのために全力で事業を拡大させる金子直吉の心には、小説「無法松の一生」の富島松五郎の吉岡未亡人に対する心情が似通っているのではないかと原作者・花登が分析しているのが興味深い。

 <「海鳴りやまず」主なキャスト> 月丘夢路(鈴木ヨネ)、藤岡琢也(金子直吉)、岡崎友紀(鈴木千代子)、仲真喜(高畑誠一)

 なお、本公演を記念して日商岩井(現・双日)が発行する月刊PR誌「トレードピア」では、昭和56年4月1日、特別号を発行して「特集"海鳴りやまず"」を掲載した。(詳細は、関連リンクをご覧ください。) 

◇哀悼「久琢磨先輩の死を悼む」三木秀介

 鈴木商店の土佐派の急先鋒として金子直吉を尊敬し、作家・城山三郎の小説「鼠」の冒頭、「久老人」として登場する久琢磨氏が昭和55(1980)年10月31日、85歳の生涯を閉じた。久氏とは、独身時代神戸中山手の"済美寮"で相撲の手ほどきを受けたことを始め60余年に亘り親交のあった筆者が、久氏の死を悼んでその波乱万丈の生涯を懐かしむ。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「鈴木よね刀自 近代日本の女性史に」

 昭和56(1981)年12月、集英社より「近代日本の女性史 全12巻」が出版される。作家・佐藤愛子ほかの編集、円地文子監修。その内の第六巻は、"事業への理想と情熱"と題し、6人の女性事業家たちが取り上げられた。近代文学研究者・荒井とみよ氏により「鈴木よね」が執筆された。執筆内容については、次号(たつみ第35号)に掲載されています。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

 

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