辰巳会・会報「たつみ」シリーズ(57)「たつみ第57号」をご紹介します。
2023.10.25.
「たつみ第57号」は、平成5(1993)年2月28日に発行されました。本号の表紙には、小磯良平画伯が描く金子直吉の肖像画が載せられています。本年(平成5年)は、金子直吉没50年に当たることから5月20日、辰巳会により「金子直吉50年祭」が神戸・長田神社にて執り行うことになりました。
金子直吉の遺徳を偲び、たつみ誌旧号や他の文献より金子翁関係記事を本号で再度紹介することになりました。
◇「金子直吉と大正の企業家」城山三郎
鈴木商店焼打ち事件を描いた小説「鼠」の著者・城山三郎が、金子直吉のひととなりを語っている。城山によれば、金子は世間で伝えられるような相場師ではない。株、米など投機に手を出すことを再三戒めている。
買思惑だけで当てたのではなく、創意に富んだ世界的な商人で最も開明な(進歩的、先進的)産業資本家と評する。また、常に天下国家のためにという気風を抱いた企業家であったという。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
神戸製鋼所社長・相談役を歴任した筆者が、若き日の大正7(1918)年12月、スイスへの出張の途中、ロンドンに立ち寄り鈴木商店ロンドン支店を訪ねた。高畑誠一支店長は、おもむろに金庫から一通の手紙を取り出して筆者に見せてくれた。それは2年前の大正5(1916)年、ロンドンに赴任する小川実三郎に金子が託した高畑宛に認めた長文の手紙で、筆者は非常な感銘を受けたことを思い出す。(後年、「天下三分の計あるいは天下三分の宣誓書」と呼ばれる長文の手紙は、今日、大正4(1915)年に書かれたものと明らかになった。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)
◇「商機の生神様 金子直吉」長崎英造 / 住田正一
金子直吉の片腕として(長崎英造)、あるいは秘書役として(住田正一)共に金子に身近に接してきた両者が、金子のスケールの大きさに圧倒されたと述懐する。
金子の前に出て何かしゃべると、その回転の中へ何もかも吸い込まれてしまうようだ、またその回転に跳ね返されて戻って来てしまうようだと二人とも金子の前ではうかつに物が言えないほどの緊張感を感じたという。
"商売の神様"金子直吉の博識と強記に感心し、ただの物知りとはわけが違う天下一の物知りと評する。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
大正、昭和の実業家、政治家であり、藤原工業大学(後に慶応義塾大学工学部)の創設者としても知られる筆者が、慶応大学工学部の学生に金子直吉について講演し、金子を実業界における成功者であると同時に失敗者と評した。わが経済界の一大先覚者としての金子を虚心坦懐に見直さなければならないと説く。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)
◇「栄町三丁目頃の鈴木商店時代の思い出」小原多喜子
昭和5(1930)年2月末、破綻整理中の鈴木商店に入社した筆者は、神戸栄町3丁目時代の本店が置かれていた旧横浜正金銀行・神戸支店の建物(同建物は、戦災により昭和20(1945)年に焼失)を拠点に連日整理に追われる重役陣や頻繁に訪れる関連会社役員たちの様子を50年も昔のことながら克明に思い出す。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
◇「辰巳会だより」(詳細は、関連リンクをご覧ください。)
〇本部秋季例会:平成4年11月10日 奈良墨製造元、薬師寺見学 参加者25名
〇東京支部秋季例会:平成4年10月27日 富士山麓忍野八海、山中湖バス旅行 参加者14名
◇「辰巳会会員便り」(詳細は、関連リンクをご覧ください。)