神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の第39回「エピローグ インタビュー㊦ 何が金子を動かした」をご紹介します。

2017.3.27.

神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の「エピローグ インタビュー㊦ (39)何が金子を動かした」が、3月26日(日)の神戸新聞に掲載されました。

今回の記事は鈴木商店の歴史に学ぶインタビュー編の2回目で、経済評論家の内橋克人(かつと)さんと京都大大学院教授の伊藤(ゆき)()さんのお二人が、その歴史から思うことについて述べています。内橋さんは、鈴木創業時の不平等条約下での隷属的な交易からいかに脱するが金子直吉を駆り立てた熱情であり、「生産こそ尊い活動」との信念の下、製造業にのめり込んだ。さらに金子は優れた「企業家」ではあったけれども「経営者」ではなかったとも語っています。伊藤さんは、金子は故郷・土佐への思い入れや財閥への強烈な対抗心を克服すべきだったのではないか、またリーダーには歴史などを基にもっと先を見通す力が必要であると語っています。

kanekonaokiti6.PNG金子直吉の最初の商いは、国内の砂糖、鰹節、茶、肥料などの取引でした。しかし、金子は外人商館へ出入りするようになって不平等条約(*)の下での外商からの圧迫を身をもって知ることになります。

金子は、あるときは犬のように追い返され、またあるときは、外国商人が商品を計るときに秤台の上に公然と足を乗せてニヤリと笑ったといいます。このこと以来金子は、日本は産業を発展させて一流国にならなければいつまでも馬鹿にされ続ける、という思いを抱くことになります。


(*)安政5(1858)年、江戸幕府は井伊(なお)(すけ)の専断をもってアメリカ、イギリス、オランダ、ロシアの5か国との間に修好通商条約(安政五カ国条約)を締結しましたが、いずれも各国には治外法権を認め、日本には関税自主権を認めないという日本の主権を毀損する極めて不平等な内容の条約でした。

takahataseiiti3.PNG高畑誠一(鈴木商店ロンドン支店長、日商[現・双日]会長)は次のように語っています。

「金子さんは、明治及び大正初期の真の実業家で、小さい山国で資源に乏しい日本を強大にするには工業による外に道はない、兎に角、海外の原材料獲得に急げ、工業立国を進め、重工業・化学工業・エネルギーのソースを確保せよと、現在一九七一年の世界の最高のランクに到達した日本を五十年、六十年前の明治時代に予見透視されたのか、自ら陣頭にたち明治の末期から大正時代に既に現代の多数の企業家の活動をその時既に予見して推進された、その先見の明には頭が下がらざるを得ないのです。」


hisatakuma.PNG鈴木商店"土佐派"の若手として働いた(ひさ) 琢磨(たくま)(朝日新聞庶務部長、土佐証券副社長、大東流合気柔術免許皆伝・最高権威)も次のように語っています。

「金子さんは半世紀も前から、『日本は国土が狭く、耕地が少ないから到底農業立国は出来ない。すべからく、各種の工業を盛んにして総生産額をあげ、この生産物を世界各国に輸出すべきである。勿論日本には資源が乏しく自給自足できないが、原料はどしどし輸入しこれを工業加工して附加価値を大にし、輸出して儲けるべきだ。尚海運を盛んにして、これらの輸出入品の運送に当らせる。空船にするのは損だから、世界中の商品の需給の流動を早くキャッチして、時には第三国間の貿易も進んでやるべきだ。即ち日本は工商立国で進むべきだ。』と主張し、時の政府にも進言して自ら先頭に立って卒先実行した。『政府がやるべきことを鈴木が代行しているんだ』との自信の下にドシドシ拡張した。」

昨年4月から1年にわたりご紹介させて頂きました神戸新聞の連載企画「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」は、次回4月2日(日)をもって最終回を迎えます。なお、最終回は兵庫にゆかりのある経済人や識者ら3人の座談会が掲載される予定です。

下記関連リンクの神戸新聞社・電子版「神戸新聞NEXT」から記事の一部をご覧下いただくことができます。

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