神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の第4回「『お家さん』の決断」をご紹介します。
2016.5.30.
神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の本編「第1部 創業のころ (4)『お家さん』の決断」が、5月29日(日)の神戸新聞に掲載されました。
今回は、まず鈴木商店の店主であるお家さん・鈴木よねの多額の寄付により、大正6(1917)年にわが国初の公立女子商業学校として神戸・元町に開校した「神戸女子商業」(通称「女商」)を軸にいくつかのエピソードが紹介されています。
神戸女子商業の流れを汲む神戸市立神港高校は、本年4月に神戸市立兵庫商業高校と統合・再編され、校名は神戸市立神港橘高校となりました。本年2月、鈴木商店の後継企業・太陽鉱工(神戸市中央区)が神港高校に杉・ヒノキ材を贈呈し、これらの木材が完成間近の新高校・校舎内の和室に使用されることも記述されています。
記事は、鈴木商店の創業者・鈴木岩治郎が明治27(1894)年に急逝した後、寡婦となり当初廃業を決めていたよねが、金子直吉と柳田富士松の二人に店を任せて事業を継続することを決断するくだりまで続きます。
当時の「女商」の女生徒たちは、年一回須磨の鈴木邸に招待され、広大な屋敷で演芸や模擬店などで歓待されていました。写真は大正9(1920)年5月に鈴木邸に招かれた大勢の生徒たちと、彼女らに囲まれた鈴木よね(前列中央に座っている人物)が撮影された貴重なものです。
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