神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の第7回「番外編(7)金子の故郷、高知へ」をご紹介します。
2016.6.20.
神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の本編「第1部 創業のころ 番外編(7)金子の故郷、高知へ 宰相、実業家輩出した地」が、6月19日(日)の神戸新聞に掲載されました。
今回の記事は、金子直吉の墓が神戸市の追谷墓園と高知市の筆山の2カ所にあることから始まります。いずれの墓も海が遠く見渡せる高台に位置しています。
鈴木商店には高知商業高校(現・高知市立高知商業高校)の卒業生を中心に土佐出身者が数多く入店し、土佐派と呼ばれる一大勢力が形成されたことも記述されています。
鍋島高明氏(市場経済研究所社長、当記念館の監修)の著書「大番頭金子直吉」には次のような興味深い一節があります。『土陽新聞社編「高知県人名録」(昭和6年刊)には、「県外在住名士」として浜口雄幸、岩崎久弥など錚々たる名前が並ぶが、鈴木商店関係者は金子直吉以下44名に上り、岩崎小弥太が率いる三菱グループの40名を凌ぐ若者が金子の支配下にいたことになる。土佐の青年が神戸を目指し、さまざまな鈴木系企業に散っていった。』
なお、金子の生誕地、土佐は金子との関係が深かった浜口雄幸(四国初の総理大臣で「ライオン宰相」と称された)を始めとし、板垣退助、片岡 直温(大蔵・商工大臣)、岩崎弥太郎など多くの政治家・実業家を輩出した地でもあります。土佐の商人といえば先ずは三菱グループの創始者・岩崎弥太郎の名が挙げられますが、福沢諭吉の女婿で電力王と称された福沢桃介は、金子をより高く評価しています。福沢はその著書「財界人物我観」にて「土佐の国は我が財界に二大偉人を送った。一人は岩崎弥太郎、もう一人は金子直吉だ。彼(岩崎)が死んだ時の三菱の財産はせいぜい約二千万円、三菱汽船(郵便汽船三菱会社、後の日本郵船会社)と高島炭鉱くらいのものだった。鈴木商店すなわち金子の事業はとうてい弥太郎逝去当時の三菱の比ではなかった。金子は、我が財界におけるナポレオンに比すべき英雄だ」と絶賛しています。
写真は、高知市筆山霊園にある金子直吉と妻・徳の墓です。平成23(2011)年11月には、高知ロータリークラブによって、墓所内に金子直吉の偉業を称えた顕彰碑が建立されました。
下記関連リンクの神戸新聞社・電子版「神戸新聞NEXT」から記事の一部をご覧下いただくことができます。
なお、第1部「創業のころ」は今回にて終了し、7月10日(日)から第2部「世界へ」が始まります。