神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の第8回「新領地 2人の後藤」をご紹介します。
2016.7.10.
神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の本編「第2部 世界へ(8)新領地 2人の後藤 台湾統治 物流で下支え」が、7月10日(日)の神戸新聞に掲載されました。
本年5月21日(土)~26日(木)、当記念館と神戸新聞社は台湾の取材を実施し、台北市・北部・中西部・南部の鈴木商店ゆかりの各地を巡りました。
取材に際しましては、当記念館が台湾について全面的にご協力をいただいています兵庫県立芦屋高等学校教諭・齋藤尚文氏(博士・学術)にご同行いただき、現地では楊素霞副教授(政治大学)、陳計堯副教授(成功大学)、台湾双日股份有限公司の坂本支店長・大山財務部長のご協力をいただくとともに、各訪問先でお会いした方々の多大なご協力を得まして、無事取材を終えることができました。今回の記事は、神戸新聞社がこの度の取材他に基づいて執筆されたものです。
記事では、金子直吉が後藤勝造と後藤新平という2人の後藤(2人の間に血縁関係はありません)との関係を軸にして台湾での事業を展開していった様子などが描かれています。
明治10(1877)年に「"まるま"蒸気船問屋後藤勝造本店」(現・後藤回漕店)を創業した後藤勝造は、自ら経営する後藤旅館に宿泊した後藤新平(明治28(1895)年4月に下関条約が締結され、日本領土となった台湾の総督府・民生長官となる)の知遇を得て台湾への回漕業進出を果たし、ホテル、食堂などの事業を拡大。やがて、勝造は鈴木商店店主・鈴木岩治郎と並ぶ神戸財界の名士となります。鈴木岩治郎が勝造と面識があったことから、岩治郎没後、台湾の樟脳に商機を探っていた金子直吉は、民政長官・後藤新平への橋渡しを勝造に依頼し、鈴木商店の台湾での事業が進展していきます。なお、鈴木商店は大正5(1916)年、勝造が神戸市東川崎町(現在の中央区栄町通7丁目)にて経営していた「みかどホテル」の新館を買い取って新社屋にしています。
後藤新平と面談し、信頼を勝ち得た金子は鈴木商店として台湾における専売制実施後の樟脳油の65%の販売権を獲得するという破格の成果をあげ、その後も台湾での最大の事業となる製糖事業、さらには製塩事業にも進出して資本の蓄積を進めました。鈴木商店にとって台湾は、その後の製造業進出や事業多角化のきっかけの地となったのです。
冒頭の写真は、後藤新平(右)と後藤勝造です。上の写真は台北市にある台湾最古の国立台湾博物館(旧・台湾総督府博物館)です。この建物は台湾総督・児玉源太郎と民政長官・後藤新平の功績を記念して児玉総督後藤民政長官記念館として建設されましたが、大正4(1915)年の工事完了と同時に台湾総督府に寄付され台湾総督府博物館として開館しました。私ども取材陣の訪問時には改修工事のため、3階に展示されていた児玉源太郎と後藤新平の銅像は保管・修復倉庫(南門園区内にある古遺修復所)に移されていましたが、そこで格納中の銅像と対面することができました。
現在当記念館では、この度の貴重な取材の結果を受けまして、地域特集「台湾」のページリニューアルおよび内容の充実をはかるべく鋭意作業をすすめております。どうぞご期待下さい。
後藤勝造、後藤新平については、次の人物特集をご覧下さい。
下記関連リンクの神戸新聞社・電子版「神戸新聞NEXT」から記事の一部をご覧下いただくことができます。