鈴木商店こぼれ話シリーズ (52)「東京・都電荒川線の前身は、鈴木商店が経営関与した"王子電気軌道"」をご紹介します。
2024.7.20.
都電荒川線は、東京荒川区・三ノ輪橋停留場から新宿区・早稲田停留場までを結ぶ東京都電車(都電)12.2kmの路面電車。
都電は、東京23区を中心に最盛期には40路線、200kmを超える路線網を運行していたが、1972年までに相次いで廃止され、荒川線が唯一残っている路線である。(昭和49(1974)年、存続が決定)平成29( 2017)年、"東京さくらトラム"と名称が変わったが、"都電荒川線"の愛称は残された。
都電荒川線は、「王子電気軌道(株)」を前身とし、長く"王子電車"、"王電"と呼ばれ親しまれていた。(写真は、王子電気軌道・王子駅前停留所(昭和10(1935)年頃;王子電気軌道25年史)
王子電気軌道は、明治39(1906)年、東京府北豊島郡王子町(現・東京都北区王子)を中心とする電気軌道の敷設計画が出願され、明治44(1911)年、大塚~飛鳥山間の軌道が開通されたことから路線の拡大が図られた。
然しながら、同社の資金繰りが悪化し、大正5(1916)年、同社初代社長で創業者の一人でもある才賀藤吉氏の持ち株が競売に出され、北浜銀行が落札、同行の経営に移るも、北浜銀行の破綻により同行の所有株は再度競売にかけられた結果、鈴木商店と森村銀行が落札。
鈴木商店は、幹部・岡烈を取締役に送り込むも、大正6(1917)年、岡烈の死去により代わって金光庸夫(大正生命保険および日本教育生命保険専務)が取締役に就任。大正生命保険は、王子電気軌道の筆頭株主でもあったことから同社の経営に関与した。
王子電気軌道は、軌道事業(路面電車)のほか電気事業(電灯・電力事業)、路線バス事業を併営したが、電気事業が収益基盤となり、軌道事業は副業的な構成となっていた。
軌道事業は、三ノ輪橋~王子駅前、王子駅前~早稲田、王子駅前~赤羽駅の各路線を運行していたが、昭和17(1942)年、電力統制と交通統制により東京市に事業を譲渡、王子電気軌道は清算され、軌道事業は東京市電(後に都電)となった。昭和49(1974)年、旧王子電気軌道の路線は、都電荒川線として復活した。
鈴木商店は、王子電気軌道のほか東京・江東区、江戸川区にて軌道事業を展開していた「城東電気軌道」にも関与していた。大正6(1917)年、錦糸町~小松川間路線の開通の後、砂川支線、江戸川線、洲崎線を相次いで運行したが、昭和17(1942)年東京市電(後の都電)に吸収された。王子電気軌道と同様、大正生命保険が筆頭株主で、金光庸夫が取締役に名を連ねていた。(写真は、城東電気軌道・江戸川線)