帝国興信所が作成した「鈴木商店調査書」シリーズ⑤「大里酒精及焼酎醸造工場」(調査書P37~38)をご紹介します。
2024.8.21.
「鈴木商店調査書」をご紹介するシリーズの5回目です。
大正3(1914)年、鈴木商店は発酵原料(糖蜜、ふすま、ビール酵母等)を近隣の大日本製糖、大里製粉所、帝国麦酒から容易に調達できる福岡県企救郡大里町(現・北九州市門司区大里新町)に「大里酒精製造所」を設立し、当初は第一次世界大戦の特需もあり "酒精"(エチルアルコール)を醸造していました。(左の写真は、現在のニッカウヰスキー門司工場倉庫(旧・大里製粉所倉庫)で、平成29(2017)年4月に認定された日本遺産(Japan Heritage)「関門 "ノスタルジック" 海峡~時の停車場、近代化の記憶~」を構成する文化財に登録されています)
その後、大戦の特需が終息したことから大里酒精製造所は "焼酎" の醸造を開始します。大正6(1917)年、同社は愛媛県宇和島の「日本酒類醸造」(旧・日本酒精)が焼酎会社の乱立により経営不振に陥ったことから、地元宇和島出身の山下亀三郎の仲介により同社を吸収合併し、大里、宇和島の両工場を擁する焼酎製造会社となり、社名を「日本酒類醸造」に改称しました。
これにより、新生・日本酒類醸造はわが国最大の焼酎製造会社となり、大里酒精製造所時代からの "ダイヤ焼酎" と日本酒精時代からの "日の本焼酎"(後に寶酒造中興の祖となる大宮庫吉が商品化に成功)の2大ブランドを販売しました。(右の写真は、日本酒類醸造の焼酎甕で、"鈴木よね" の名前の"米"を象った「よね星」と「ダイヤ」の文字が確認できます)
さらに、日本酒類醸造は大正14(1925)年に同業3社(肥後酒精、大日本酒精、島原西肥興行)と合併して「大日本酒類醸造」を設立し、昭和3(1928)年にはさらに同業6社(大日製酒、九州醸造、江口醸造所、丁字屋商店長浦工場、日向醸造、西海醸造)と合併して九州を拠点とする一大焼酎製造会社となり昭和19(1944)年、「大日本発酵工業」に改称しました。
同社はその後も合併・分割・統合等の変遷を重ね、大里の醸造工場は昭和35(1960)年7月に「協和発酵の門司工場」、平成14(2002)年に「アサヒ協和酒類製造の工場」、平成18(2006)年に「ニッカウヰスキー門司工場」となり、現在も歴史のある煉瓦造りの焼酎生産工場として稼働を続けています。(左の写真は、ニッカウヰスキー門司工場製造場 [旧・大里酒精製造所]で、前記の日本遺産を構成する文化財に登録されています。画像提供:関門海峡日本遺産協議会)
なお、調査書の「沿革 現況」には、次のように記されています。
「本事業は大正3年1月に開設し、資本金30万円をもって酒精(エチルアルコール)の醸造を開始し、最新式と言われる「イルゲス」式蒸溜器を輸入し、かつ醸造試験所を併置し、なお技術者を欧米に派遣し斬新な学理を応用し、日夜研究のかたわら醸造に努力したところ、優良な製品を産出するようになり、評判が急に上がり優秀品として歓迎されつつあったドイツの品を凌駕し、ついに同品を満州・朝鮮地方より駆逐することとなった。」
「なお、同年(大正3年)6月より焼酎醸造を兼営することとなり、これもまた非常に好成績を示している。‥‥ 価格は比較的安いので、内地は勿論満州・朝鮮方面にまで盛んに販売している。」