帝国興信所が作成した「鈴木商店調査書」シリーズ⑨「札幌製粉株式会社」(調査書P54~56)をご紹介します。

2024.11.21.

「鈴木商店調査書」をご紹介するシリーズの9回目です。

sapporoseihun.png明治18(1885)年、蒸気機関を動力源とする米国製ロールミルを備えたわが国初の本格的な近代的製粉工場となる官営札幌製粉場が設立されました。

明治19(1886)年、同製粉場は民間(複数の地元有力者)に払い下げられ、札幌の豪商で実業家でもあった後藤半七の所有になると一時期には目覚ましい成績をあげましたが、自身の投機的な投資活動が裏目に出るとともに、後藤の病死により経営破綻しました。

yonedaryuuhei2.PNG明治35(1902)年、この事態を重く見た札幌財界は道内の小麦生産を発展させる上で不可欠な製粉事業を継続すべく、地元の有力者によって札幌製粉(株)が設立され、製粉工業の本場アメリカで技術を磨いた製粉技師、"ドラゴン・ヨネダ" こと米田龍平(右の写真)を技師長兼支配人として招へいしました。

米田は札幌製粉で最先端技術を駆使し、高品質の製品を大量に生産できる機械製粉の技術を確立しました。(上の写真は、当時の札幌製粉です)

明治30年代後半から明治末頃までの時期は食生活の向上に伴う小麦粉需要の増大に加え、政府の積極的な産業振興策が相まって大資本による製粉会社の新設が相次ぐ一方、既存の製粉会社も規模を拡大していきました。そんな最中の明治42(1909)年、鈴木商店は札幌製粉を買収し、鈴木商店小樽支店は道内全域に同社の製品を拡販していきました。

syousitusaikenngonodairiseihunnjyo.PNGその後の大正9(1920)年3月1日、札幌製粉は一旦同じ鈴木商店系列の大里製粉所と合併し、その後日本製粉(現・ニップン)が大里製粉所を吸収する形での対等合併が実現しました。

これを機に、鈴木商店は日本製粉向け原料供給と製品の一手販売権を取得するとともに、谷治之助窪田駒吉志水寅次郎の3名が取締役に就任し、同社への経営関与を深めていきました。(左の写真は、当時の大里製粉所です)

なお、調査書の「沿革 現況」には次にように記されています。

「同社は北海道の後藤善七(原文ママ。正しくは "半七")氏の個人経営であったが、事業の失敗により、明治35年頃資本金10万円の株式組織に変更したが、支配人の背任や会社の資金使い込み事件等のためますます窮地に陥り明治42年、鈴木商店が7万2千円前後で買収し、続いて資本金を25万円に増資し、今日に至っている。」

帝国興信所が作成した「鈴木商店調査書」シリーズ⑩「株式会社大里製粉所」(調査書P57~61)をご紹介します。

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