羽幌炭砿のあゆみシリーズ ~Ⅱ.創業前後の混迷期~を掲載しました。

2015.9.13.

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羽幌炭砿の歴史を紹介するシリーズの3回目です。

羽幌炭砿の創業は、日支事変(日中戦争)に端を発した軍事体制の強化により、日本が混迷を極めた時期とも重なり、時代背景からも創業時の苦難をうかがい知ることができます。                                                         今回は昭和14年~19年にかけての「創業前後の混迷期」をご紹介します。

古賀六郎らの地質調査などを終え、事業化の目途が立ったことから、太陽曹達は昭和14(1939)年に羽幌鉄道(株)を設立。()築別炭砿は昭和15(1940)年2月に開坑しました。

昭和16(1941)年3月、羽幌鉄道(株)が羽幌炭砿(株)を吸収合併する形で、羽幌炭砿鉄道(株)が誕生。太平洋戦争が勃発した12月には悲願の羽幌炭砿鉄道(「築別炭砿―築別」間16.6km)が開通しました。

当時は相次ぐ軍の召集で働き盛りの人材が減少。しかし、石炭の増産は戦争遂行のための至上命令であったため電力・機械・資材の有無を問わず、いかにコスト高になろうとも出炭は昼夜二交替で続けられました。

写真は太陽産業羽幌出張所・羽幌鉄道創立事務所を撮影した大変貴重なもので、当時の建物、関係者の服装。自動車などの様子がよく分かります。

詳しくは下記の関連記事をご覧下さい。

地域特集>北海道(羽幌)>羽幌炭砿のあゆみ ~Ⅱ.創業前後の混迷期~

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