羽幌炭砿のあゆみシリーズ ~Ⅲ.戦後の混乱期~を掲載しました。

2015.9.15.

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羽幌炭砿の歴史を紹介するシリーズの4回目です。                                    今回は「戦後の混乱期」の様子をご紹介します。

太平洋戦争は昭和20(1945)年に終戦を迎えましたが、日本の国土は惨状を呈し社会全体が大混乱に陥りました。羽幌炭砿も人手・資材・食料不足・労働意欲の低下に加えて校内の荒廃による自然発火の頻発、さらには朝鮮人労働者の蜂起がヤマの荒廃に拍車をかけ、出炭量が急減しました。

昭和24(1949)年には日本経済の自立と安定を企図したドッジ・ラインが発表され、全国の石炭企業は市場での自由競争時代に突入し、環境は一層厳しいものとなりました。そんな中、築別炭砿において石炭企業初の無期限ストが発生し、司法権が発動される事態が発生しました。

写真は当時の築別砿業所で、築別炭砿駅を降りて辰巳橋を渡りそのまま直進すると突き当りの大山祇神社(築炭神社)の手前に位置していました。

詳しくは下記の関連記事をご覧下さい。

地域特集>北海道(羽幌)>羽幌炭砿のあゆみ ~Ⅲ.戦後の混乱期~

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