羽幌炭砿のあゆみシリーズ ~Ⅳ.合理化推進期~を掲載しました。
2015.9.18.
羽幌炭砿の歴史を紹介するシリーズの5回目です。 今回は昭和26年~30年にかけての「合理化推進期」をご紹介します。
昭和25年の長期ストを機に労使協調の道を歩み始めた羽幌炭砿は後ろ向きなムードが一掃され、ヤマには一気に明るさが戻りました。
昭和26年度の出炭量は朝鮮特需に伴う石炭ブームの恩恵も受け、北海道中小炭鉱のトップクラスに浮上し、大手炭鉱もその急進ぶりに目を向けるようになりました。昭和27(1952)年には娯楽・文化の殿堂といわれた「築炭会館」、「本坑会館」、「二坑会館」が完成し、スポーツ活動、文化活動が活発になりました。
昭和28年半ばからは朝鮮戦争休戦に伴う石炭不況の到来により全国の多くの炭鉱が閉山に追い込まれ、大手炭鉱も赤字・無配に転落する中、合理化により強靭な体質を築きつつあった羽幌炭砿は、出炭調整の声をよそに更なる合理化・コストダウンの道を選択し、増産に邁進していきます。
写真は築別炭砿の主要運搬坑道「大竪入(おおたていれ)」からの人車入坑風景です。
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